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機動隊に轢き殺されそうになったOさんの手記

 レイバーネットメーリングリストに投稿された、Oさん(私も面識のある女性)です。
 転載は自由ということになっていますのでこちらにも書きます。実名だけ略しました。
 沖縄でどれほどの政府による暴力がなされているか、ひとつの明らかな証言といえます。
===

 Oです。

 ご心配をお掛けし、お騒がせしてしまい申し訳ありません。さきほど伊江島に戻ってきました。

 昨日病院の緊急外来で緊急の措置が必要な異常があるかと、骨の検査をして一泊して退院しました。特に異常は見つかりませんでしたが、外科の診察も必要なので、それは来週行うことになりました。

 ごく簡単にご報告しますと、午後6時半ごろ、ランドクルーザーの警察車両(「指揮車」というらしいですが)の前に私が立ちその進行を止めていました。現場指揮官も、指揮車は動くな、という指示を出していたこともあり、私も排除されることはありませんでした。時間も長引いてきたので、その場に座り込んでそのまま止めていましたが、何分か経つと、私の帽子に車体が当たったので、指揮車が後退するために動き出したのかと思ったのもつかの間、ジリジリを前進を始め、車を背にあぐらをかいて座っていた私を二つ折りにするようなかたちで、のし掛かってきました。
 私は瞬間的に「押しつぶされる」「殺される」と感じ何らかの声を上げたのは覚えてますが、精神的にパニクっていたと思いますので、その後の記憶は飛び飛びです(意識を失っていたわけではありません)。

 この後のことは周りから聞いた話ですが、このときの警察の対応もひどく、運転手も降りて来ないし、もちろん被害者の救助もしようとしない。現場検証もしないまま、車も移動させてしまう。こうした対応に緊急抗議行動が取られていると、救急車で搬送中に、同行してくれた仲間が教えてくれました。

 幸いにも、大きな異常も現在は見つかってないので、養生をしながら通院と名護署の対応をしていきたいと思っています。今朝も名護署に行きましたが、名護署としてはまだ事故として認定したわけではない旨の発言をしていましたので、まだ先行きが不透明です。

 なお、現場を見ていた女性が大きな声をあげたため、警察車両は止まったとのことで、もしこの女性が声をあげていてくれなかったらと思うとゾッとします。

 重ねてではありますが、お心配をお掛けした皆さまにはお詫びとお礼を申し上げます。

 報道でご存知とは思いますが(本土でどれほど報道されているかわかりませんが)、数と力にものをいわせた機動隊による激しい排除により、本日もけが人が続出したため、阻止行動は中止され、市民が設置していたゲート前のテントや車などは機動隊により、あるいは自主的に撤去されたのち、防衛局による金網が即座に設置され、これまた即座に工事のための伐採が始められてしまいました。

 しかし抵抗運動はこれからも続きます。今後もぜひ高江、辺野古、そして伊江島、沖縄での軍事機能強化の動きへの異議申し立ての声を上げていただきますようお願い致します。

映画『FAKE』の虚実皮膜

1.
 タイトルの「いかにも」らしさ。
 マスメディアが大仰に言い立てるならともかく、ほかならぬ森達也の映画のタイトルが「FAKE」ときては、その策略を憶測したい気持ちが働いても無理からぬ話と納得していただけるだろう。

 マスメディアが造形しているはずの佐村河内という人物の虚像にどっぷり浸かっているであろう私としては、森氏がそこに何やら嗅ぎつけたということのへ興味が大きかった。
 なにしろあの「A」「A2」で、誰もが思いもしなかったオウムの内部に潜入した監督である。

 何らかの裏話として、どのように取材許可をとったのかとか、条件交渉などはあったのかとかというところにも関心はなくはないが、それは枝葉末節だ。おそらく、「取材させてほしいと言ったらOKもらったからだ」という「A」のときと同じ程度の、肩の力の抜けたスタンスではなかったろうかと推測する。

 それにしても、薄暗いダイニングキッチンのテーブルにカメラを置いて第一声を発する森監督のスタイルは、それだけでドキドキするものがある。

 「A」を観た友人が「船酔いした」という手持ちカメラのフラつきやぶん回しのカメラワークは今回はない。
 室内の落ち着いた空間に、カメラはしんと落ち着いているように見える。

 たいていの観客は、この時点で佐村河内氏を疑いの目で見ている。
 監督も同様、難聴であるとはどういうことなのかと、声を出して反応を確かめたりしている。観客は自分の疑問を監督の行為に寄り添いながら確認しているわけだ。
 難聴は嘘だという新垣氏側の主張が示され、逆に医者の診断書をマスメディアが正しく取り上げていないという問題も出てくる。難聴はほんとうらしいが、でもウソかもしれないという虚実皮膜の宙ぶらりんに放り投げられたまま、観客は画面に引き寄せられていく。

 それにしても、マスゴミと揶揄される巨大メディアが、ひとたび標的とした個人を利用しいじり回し、からかいいじめ抜く徹底した嫌がらせの数々に、よくもまぁ佐村河内夫妻は耐えぬいたものだと痛切に思う。
 こういう騒ぎの中では、障害者の福祉だの人権だのという言葉は虚空にかすんで見える。
 叩いても我が身は安全だとわかればすさまじい匿名のバッシングが湧き起こることは、五輪のエンブレムにせよ都知事叩きにせよ目にしたとおりだが、まことに容赦がない。
 映画の中でもマスメディアからの出演依頼が登場するが、佐村河内氏が簡単に了承できないのは、過去のそういったバッシングの恐怖からなのだという。

 様々なエピソードが、監督が佐村河内邸に頻繁に出入りする中で語り出される。
 詳細に見聞きしてやっと理解できる微妙な話は、他人に伝わる時点で一部省略されてしまう。マスメディアのわかりやすい語り口に翻訳された時には、微妙なひだは一切剥ぎ取られ、誰もが容易に理解できるアレかコレか、1かゼロか、白か黒か、善か悪かに転換されてしまっている。

 なるほどそうなんだなと、この映画を観ながら私は納得した。普段使っているパソコンのアプリ、Photoshopの一機能のように、物事は簡単に2値化されてしまうのだなぁと。
 この映画の大きな狙いの一つは、口当たりのよいマスメディアの伝え方に潜む、とんでもないウソ、であるのだろう。
 
 ウソをついているのかもしれない佐村河内側の主張と、それの批判者である新垣、文春の神山といった側の主張も、そのうちだんだんと怪しく感じられてくる。
 監督の取材依頼に対して、なぜ拒否をしなければならないのか…、釈然としないのだ。

 同時にまた、佐村河内氏の主張の一つである、作曲は新垣氏との共同作業によるものだという点について、果たして楽譜が書けず鍵盤が弾けないと言われている佐村河内氏が、単なる紙上のディレクションだけをもって共同作業と言いうるのかというところに、海外からやってくる取材記者の視点も観客の視点も集中してくる。
 新垣側には作曲をしたという証拠は山ほどあるのに、なぜあなたにはそれが示せないのかと記者に詰め寄られ、部屋が狭いから鍵盤も捨ててしまったなどと答える佐村河内氏に、私も「あちゃ〜」な思いを禁じ得ない。

 だが、このあたりの計算が実によく出来ているのがこの「FAKE」だ。
 観客の失望感を引き出すそのシーン自体、このあとに控える、宣伝文句にいう「衝撃のラスト12分」を存分に演出するための伏線だったとは!

 脱帽である。

2.
 映画作りとして特筆すべき点、それは今回の森監督作品の場合「しかけ」だ。
 あるいは対象への介入、あるいは陽動作戦と言ってよいかもしれない。
 そのやり方も、明確に挑発的である。

 一般にドキュメンタリーには、そこにある事実を忠実に伝えるのが本来的なものであるという幻想がある。
 「選挙」や「演劇」などの作品で有名になった想田和弘監督の方法論は「観察映画」だといわれる。
 一見、撮影側の主体性まで消して対象を映し出すと捉えかねられないこの「観察」という方法は、あくまで理想論というべきだろう。
 主体を隠すなら隠し撮りしか方法はなく、純粋な観察などあり得ようがない(実作の例を出せば、韓国映画の「牛の鈴音」がそれに近いかもしれない)。むしろこの観察映画という言葉は想田監督のキャッチコピーにすぎないと私などは思っている。
 またそのキャッチコピーすら実作とはずれがあり、例えば「選挙2」では観察どころか、相手が嫌がっているのに、子どもっぽいほどの意固地な態度を見せて撮影を強行するシーンがある。

 それはともかく、もし観察映画と呼ぶにふさわしい映画があるとするならば、まず筆頭に挙げるべきは森監督の「A」だろう。
 手持ちのカメラひとつ、初心者に必要な撮影上の注意を与えなければならないほどシロウトっぽいカメラワークで、かつ、上映された作品には音楽なし字幕なし、ナレーションもトランジションもないという、想田監督がいう「観察映画」そのものだった。
 (もとより私は、観察映画と称するのに音楽や字幕がないという条件など不要と考えているので、この点でも想田監督の意見には賛成できないが)。

 そういった観察映画的な手法と対局に位置するのがこの「FAKE」だろう。
 終盤、森監督が佐村河内氏に対して、「音楽が好きなら音楽をやればどうか」とはっきり挑発する場面がある。
 ドキュメンタリーと呼ばれる映画製作にしてこのスタンスをとったということが、本作品を稀有のドキュメンタリー映画にした決定的なポイントだと私は思う。
 いわば、ドキュメンタリーとして成立すべき事実そのものを、監督自らが紡ぎだしているのだ。
 この手法は、ずっと以前誰かの作品で見たような気がしているが、残念ながら思い出せない。ただ「忠実」だけがドキュメンタリーの方法ではないということは心に留めておきたい。

 私の直感でいうなら、森監督は決して佐村河内氏を頭から信用はしていなかったと思う。序盤はもちろんのこと、中盤での、「私のことを信じているか」という問いかけに対して「信じていなければ映画は撮れない。心中する覚悟だ」(要旨)という発言は、それこそFAKEなのではないかとすら思う。しかし、それがまさに映画作りに必要な要素であるということも急いで言っておかなければならない。

3.
 作品の筋立てに関するメインストリームとは別に、この映画には作品をうまく飾り付けている脇役的な要素も多い。
 「A」とは違って観察映画的でないということは言ったが、この作品には字幕もあり、音楽もあり、トランジションもある。はっきりと「A」とはスタイルが違っている。

 トランジションなどなかったという人がいたら思い出してほしいが、佐村河内家のネコである。
 この、実にチャーミングなネコが、時には人が解説する以上の状況説明をみごとにやってのける。
 場面転換の役割と人間世界への皮肉な視線。これにはマイッタと思った。

 おそらく取材当初はそれほどメインの対象者でなかったのではないかと思われる、佐村河内氏のお連れ合い、香さんの存在は、映画の中で非常に大きなウエイトを占めているように思われる。
 冷静で終始落ち着いた人物として、そして何より佐村河内氏を徹底的に支える役割として、私生活はもちろん、この作品全体の安定感を増す役割も果たしているように感じられた。
 事件の渦中で、佐村河内氏が妻に離婚話をしたことがあるというくだりでは、私も思わずもらい泣きをしてしまった。

 映画としては、やがて物語の展開上クライマックスを迎えるが、果たしてFAKEとは誰のことなのか、今まで善人と思っていた人物が悪人に変わりそうでもあり、そうでなさそうでもあり。しかし仮にそうだったとしても、善悪や白黒の二元論がただオセロのように逆転して解決というわけにはいかない。
 森監督が狙ったメディアの闇は、二元論では解決できないからだ。

 「衝撃のラスト12分」を口をあんぐり開けてあれよあれよと見終わったあとも、観客は「本当はどうなんだ」と試される。
 「私に隠していることはありませんか」と森監督は最後、佐村河内氏に問いかける。長い沈黙の後、果たして答えはどうなるのか。
 そこをどう見せるかは「事実」がどうかではなくて「編集」にかかっている。
 どのようにでもドキュメンタリーは嘘をつけるのであり、どのような答えも出せるのだ。

 ものごとを素直に見せるためには、素直でない策略、すなわちケレンを駆使しなければならない。
 それを熟知して、このシーンを編集しているのが森監督なのである。

フェリーニの「サテリコン」

 多分40年ぶりに、フェリーニの「サテリコン」を観る。
 ツタヤの宅配DVDにて。
 昔観た時、何がなんだかわけがわからず、ただ悪夢を見たような記憶だけがずっと残っていた。
 あの悪夢は何だったのだろうと胸に引っかかっていて、今回はその悪夢の正体を見極める解決編…であればよかったが、いま観ても、やっぱりわけはわからない。

 何とまぁ絢爛豪華な退廃であることよ。
 キリスト以前のローマの物語。
 予告編にあったキャッチコピーが面白い。「キリスト以前、フェリーニ以後」。

 映画の制作は1969年。
 建物の崩壊シーンなど、現在ならCGでたやすくできることでも、当時そんな技術はなかった。どのようにして特撮を行なったのか、メイキングを記録した「フェリーニ サテリコン日誌」という映画があるそうだが、残念ながら入手困難。見てみたいものだ。
 
 大道具以外に、登場人物についても(特にその他大勢の出演者たち)感嘆することは多い。
 何しろ退廃の成り上がり貴族である。食って寝てまぐわうことしかない生活。そんな生活ぶりを見せるための異形の登場人物たち。
 よくもまぁこれだけの「美しくない」人々を集めたものだと感心する。
 
 ミロス・フォアマンの「カッコーの巣の上で」なら、役者たちは精神病患者を演じればよかった。
 しかしこのサテリコンでは、一見して異様な風体の男女が必要だ。それをよくもまぁ集めたものだと感心せざるを得ない。
 当然職業俳優だけでは無理であったろう。

 映画のストーリーのととりとめなさは、おそらく原作の小説に依っているのであろうと思われる。
 全容がよくわかっていない小説をここまでの映画にしたのは、やはりフェリーニの手柄というべきかもしれない。
 それにしても、メイキングを見てみたいものだ。

敵は町内会にあり その4

 N町内会の事務所は、傘下のわれわれ町内会が書類作りなどをするためにコピー機、輪転機が利用できるようになっている。
 来週予定している総会準備の役員会に向けて、目下総会議案書案づくりの真っ最中である(このために私は毎日かかりきりである)。
 きょうの午前中、私と会長のY氏とでこの事務所へ行き、役員人数分のコピーをした。
 Y氏はせっかくだから総会の日程を伝えておこうと事務所内に入った。たまたまN町内会長であるF氏がいた。
 Y氏が日程を言おうとすると、「正式に会長あての招請状を出せ」と命令口調のあたりはばからぬ大声である。
 Y氏が、いやとりあえずお伝えして…というと、F氏は「お前ら、N町内会を脱退するそうやな」とまた大声。
 Y氏が、いやそんなことはまだ、これから考えるので、今は何も…としどろもどろになっていると、F氏「そんなにいやなら出て行け。払うもんも払わんと出すもん出せやと? そんな身勝手が通るか!」と脅迫である。

 もちろんわが町内会で、N町内会を離脱するなどという話は何も出ていないし(以前から離脱論はあるが)、離脱を口にしたものがいるわけもない。
 先日われわれ3人が話を聞きに行ったことを、そのとき応対した副会長が、「あの町内の連中は離脱を考えている」とデフォルメして伝えたに違いないのだ。
 彼らにとっては、傘下の町内会は上部団体の指示に唯々諾々と従うもので、逆らうことなどありえない事態。つまりあの「団交」が即反逆と映ったのだと思われる。

 この罵声を浴びて、Y氏はすっかりビビってしまった様子で、小声で「法律論など振り回さず、黙って払ったほうが万事うまく収まるのでは…」と言う始末。完全に腰が引けてしまっている。

 午後、書類作成の作業が一段落したので時間ができ、以前から気になっていたことを実行に移そうと車に乗った。
 ひとつは、町内会の上部下部などという組織形態になにか法的な裏付けがあるのかどうか確認したかった。また、町内会として独立するのはどれくらい大変なのかの確認もしたかった。
 そこで出向いたのは市役所の「まちづくり」課である。

 2人の女性が応対して、丁寧にせつめいしてくれた。
 それまで私は、町内会というのは地方自治法第260条に規定のある「認可地縁団体」とイコールだと思っていたが、そうではなく、認可を受けているのは町内で土地を所有するような少数の町内会のみ。あとは市には届け出はするものの完全な任意団体だということだった。
 したがって町内会自体の仕組みは個々バラバラだということ。これは新しい知見だった。

 町内会としての独立のことも教えてくれた。
 独立の際に負担としてあるのは、市からの委託業務を引き受けなければならないということで、しかしアンケートだの表彰者の推薦だのといったごく簡単なこと。
 しかも代わりに委託料を出してくれるというのだから、逆に潤うわけだ。
 その他の雑務も、上部団体にぶら下がっているのとほとんど同じで、独立のデメリットは何もないといってよい。

 そうだったか!と発見したのは、前回「傘下の町内会が無心すると、その時の会長の気分ひとつで大枚が積まれる」と書いたのが嘘っぱちだとわかったことである。
 以前わが町内会では、集会所の増改築をN町内会に頼んだ。そのとき会長のF氏は「俺の任期の間に頼めば金を出してやる」と言っていたからである。
 しかし「まちづくり」の資料を読めば、独立した町内会なら市に申請すれば増改築予算がつくと書いてある。
 つまりF氏は、市の予算を引っ張ってくるだけにもかかわらず、恩着せがましく「俺の一存で」できるかのように吹聴していて、当時のわが町内会の役員たちはすっかり騙されていたのだ。

 独立は書類1枚。実に簡単。独立は大変と思い込んでいた人はことごとく騙されているのである。

 さて、市役所をあとにして今度は市の社会福祉協議会へ行ってみた。
 目的は、N町内会から降ろされる寄付金等の強制に根拠があるのかどうか、社会福祉協議会自体は町内会に対してどのような依頼をしているのか、ということを知りたかった。
 結論的に、応対してくれた女性は、「社会福祉協議会の募金、寄付金等は任意であり、強制などはしていません」というごく当たり前の回答をした。

 また、昨年の決算書に書かれている「社会福祉協議会費」とは一体何ですかと聞いたところ、わからないとのこと。
 どうやら、各学区に分かれて存在する社会福祉協議会の下部組織(我々の場合T学区)が、独自に作っている寄付項目らしい。
 というより、学区別に行われる社会福祉協議会の仕事を、学区とは関係のないN町内会がやっているというところに、この組織のデタラメぶりが露呈している。
 地域のムラの古老が、組織の区別もなく金を集め管理しているというのが実情らしいとわかってきた。
 だからこそ、そこをほじくり返す奴は「出て行け」なのである。

敵は町内会にあり その3

 役員会で私と共同歩調をとりつつあるZ氏にはある持論があった。
 予算案に毎年盛り込まれている寄付金である。
 町内会でも色々いきさつはあったらしいが、現在は、例えば赤い羽根共同募金なら300円×全戸数が予算に組み込まれている。
 当然ながら、任意であるべき募金の強制徴収はおかしいという声は前からあったらしい。しかし個別徴収が面倒であるなどの理由で(本来その募金が必要かどうかなどの議論はなしに)、町内会費に上乗せする形で予算の中に組み込まれてきた。

 ネットで調べてみると、その問題とそれに関する議論が山ほど出てくる。
 決定的なのは、「募金の強制徴収は違法」という最高裁判例が確定していることだ。
 私たちと同じ滋賀県の人たちが訴訟を起こしており、一審敗訴、二審大阪高裁で勝訴、そして2008年4月に、最高裁は二審を支持して住民の勝訴が確定した。
 任意であるべき募金を強制徴収するのは、思想信条の自由を侵すものであり憲法違反である、という判断である。

 ネットでこの判例を見つけ、コピーしてZ氏に渡すと、最高裁判決のことは知っていたとのことであった。ひょっとすると彼は、この問題を常々気にしていながら、町内会ではっきり提示する機会を待っていたのかもしれない。

 わが町内会の予算案に組み込まれている寄付は、もともと「上部団体」であるN町内会からの要求である。
 以前の役員会が、寄付金だから少なくてもよいだろうと判断して半額で上納したら、N町内会からお叱りを受け、再度満額にして支払ったという事件があったらしい。
 N町内会は寄付を事実上強制しているのである。

 ならば、一度N町内会会長に話を聞こう、寄付問題をどう考えるのか、私たちの予算案を組むにもこのことははっきりさせるべきだと、我が町内の会長と副会長、つまりY氏とZ氏と私が連れ立って、先日N町内会の事務所を訪問した。
 会長は不在で、副会長なる人物が応対した。
 終始横柄な、人を見くだす態度のタメ口である。
 質疑応答の内容をひと言で表すなら、「おたくら、N町内会のやり方に不満があるなら出て行ってもらっていいんですよ」である。
 金が集まらなければ事業ができない。他の町内は全部きちんと払っている。文句があるなら独立すれば? という理屈。

 ひとつ面白かったのは、Z氏が最高裁判決のことを言いかけた時である。
 副会長は間髪をいれず「募金のことやな」とひと言、自ら口にした。
 知っているのである。知ってはいるが、知らないふりをしてカネ集めをしてきたのに、こいつらまた面倒なことを持ちだしやがって…という顔色だった。

 いずれにしても、N町内会側としては金を集めろの一点張りである。法律論になるとまずいから「極端なこと言われても困る。頑張って集めてくれ」というところで曖昧に逃げを図った。

 しかしまぁ、募金、寄付の類が強制徴収できないのは事実上認めているので、われわれとしてはこの時点で寄付金類を予算案から外すという腹が決まった。
 集まった額が少なくても、最高裁判決という後ろ盾があるかぎり文句は言わせない。

 ちなみに、もともとこのN町内会のある地域は昔から裕福な土地柄として有名であったらしい。
 広大な土地を所有していて、20年ほど前にはこの地に新キャンパスを作る某私立大学に62ヘクタールの土地を売却している。
 当然ながら億単位の金を、N町内会は持っているのである。
 聞くところによると、傘下の町内会が無心すると、その時の会長の気分ひとつで大枚が積まれるのだそうである。

 つまりこの町内会は、名目上の会則はあるものの民主的運営などとは程遠く、ものごとは中心メンバーだけで決めるというやり方を採っているムラである。
 戦前のようなどころか、それをはるかに通り越して、構成員の中心メンバーの頭のなかは江戸時代といってよい。
 戦後民主主義などというものは、このムラを素通りしてしまい、誰も知らないのである。

敵は町内会にあり その2

 第1回で、「議員を呼ばない決定をした」と書いた。

 この決定へと持ち込むにあたっては、ひとつの読みと作戦があった。
 今回の8人の班長のうちのひとりZ氏は、この町内で唯一、共産党支持であることを明確にしている人だった。確認はしていないがおそらく党員なのだろうと思う。
 すでに会長を経験している人であり人望もあるのだろうが、あまり町内の行事に顔を出すことはなく、私は今まで言葉をかわしたことがなかった。
 で、この人が役員になる以上、自民党議員を総会に呼ばないようにしようという提案に対して、反対をするわけはなかろうという読みであった。
 ただ、旗幟鮮明にしているということは、保守的な土地の中で白い目で見られる場合があるということでもある。もしもZ氏が何か言えば、「どうせまた共産党が」という目で見られかねないということだ。

 そこでまず私は、議員の件に関してはZ氏が最初に言い出すことのないようにと考え、自分の方から積極的にこの件を議題に持ち込んだ。
 その上で、議論の中でZ氏がそれとなく賛意を示すという流れを作って全体を賛成の方向に持って行くという作戦で臨んだ。
 結果的にそれが成功した。ただ、Z氏の賛意の示し方が少々穏やかすぎて、賛成ではないのかと思った一瞬もなくはなかったのだが。

 さて、2回目の役員会が開かれた。
 今年の会長Y氏は、去年までの町内会のやり方についてかなり勉強した模様で、すでに自分で総会に必要な書類を作り始めていた。
 ただしその方法は、完全な前例踏襲である。
 よくも悪くも過去の慣習どおりにやっていこうとしていた。
 進取の気性とはまるっきり正反対の、歴代役員会がたどってきた道、つまりなるべく波風を立てず、上部団体には逆らわず、形式通りに進め面倒な議論は避け、首をすくめて頭の上を風が通り過ぎるのを待つという保身術である。

 町内会の欠点がわかり始め、様々な問題点があらわになってくるのを見るにつけ、何とか改革をしていかないとと思い始めた私の考えとは正反対なのである。
 そこで、Y氏が従来通りの方針を言い出すたびに、それでいいんですか、変えるべきなんじゃないですか、こうしたほうがよくはないですか…となるべく穏やかにツッコミを入れる。
 そしてチラとZ氏の方を見ると、彼はおもむろに「その方がよさそうですね」と賛意を示す。
 こうして暗黙ではあるが、2人の連携プレーが機能して、今のところうまくいきそうな予感がしている。

 次年度の活動方針は、Y氏にまかせておけば「何もしない」か「従来どおり」、あるいはさらにもっとしないという結果になっただろう。
 というのは、毎年やっていた町内をあげてのバスツアーが、アンケートを取った結果、中止という意見が圧倒的だったので、やめることになったのだ。
 その代わりになにをするか。前年度の役員会はただ「やめる」と決めただけ。そして我々の役員会でも、Y氏まかせであればそのまま何もしない、つまり行事をひとつ減らすことが活動方針になっただろう。

 そこでまた私が口を出す。
 リクリエーションを減らして、それでおしまいでいいんですか。ひたすら消極的な活動方針ですね。もっと何か積極的なことを考えなくていいんですか…云々。
 例えば、と私が例示したのは2つのアイデア。この町内で非常に手薄になっている防災意識を高めることと、住宅地が開発されて40年が経過するにあたって、自らの足元を見つめなおすためのふるさと史誌の発行。

 実はこの2つとも私のアイデアではない。
 この町内のことをよく知っているベテランから愚痴とともに聞いた話を、町内改革のきっかけになりそうだと思って拝借したのである。
 これもまた、Z氏との阿吽の呼吸でうまく活動方針の中に盛り込めそうになってきている。

 まだまだ問題点はある。
 小さなことでもひとつひとつ変えていって、住民の惰性意識にコツンと石でもぶつけてやろうというのが私の目論見である。
 例えば総会議案書には必ず「平成◯◯年度」と書かれている。
 私は今、議案書制作の過程で、黙って「2016年度」に書き換えている。
 もっとも、固陋な古老に文句を言わせないために、カッコ書きで元号も書き添えてはいるのだが。

 時代がどんなに動き、変わっても、前例踏襲の役員会の意識は変わらない。
 それがつまり、戦後自民党政府が培ってきた保守反動の温床となっているのだ。
 少しずつでもそこにタガネを打ち込まなくてはならないと思う。

敵は町内会にあり その1

 今年、町内会の班長に(輪番で)なって、これから総会の準備やら何やら、色々と忙しくなりつつある。
 8つの班があり、先日8人の班長が集まって役員会を開き、2016年度新役員の互選を行った。
 私は事務担当の副会長という役どころである。

 この町内にきて2年半、過去2回の町内会総会に参加した。
 大半の参加者がおそらく70歳代で、たまに見る若い人を含めて平均年齢は60歳以下にはならないだろうと思われる。

 そういった古い人たちが運営する総会は、私みたいにNPOや市民運動グループの総会に慣れた人間の目からはきわめて奇妙なものだ。
 そもそも、議会の運営の仕方を知らない。
 普通、司会者とは別に議長を立てて議論の公平を期するのだが、ここでは司会者がそのまま議事進行をし、ときには自分の意見で他人の発言を遮ったりを平気でやる。
 参加者もよくわかっていなくて、「動議」が理解されないのには驚いた。新しい提案は役員の方から出すもので、一般会員から提案をしてはいけないと思っている人が何人もいるのだ。

 昨年の総会は珍妙なものだった。
 お決まりの来賓挨拶がある。
 この町内会では上部団体があって、幾つかの町内会をまとめて牛耳っているムラ組織がある。そのN町内会会長の挨拶。
 そしてこの種の組織がどこでもそうであるように、市会議員、それも自民党の議員の挨拶。
 この2人の挨拶、というより自慢話のような長広舌がほぼ1時間ほども展開された。
 そのために、肝心の議論をする時間がなくなり、予定を1時間超過してまだ決着がつかないというところで、司会者兼議長が終わりを急いで、無理やり採決に持ち込んで終わらせたというのが実情。
 もちろん参加者は不満たらたらだっただろう。しかしほとんどの人は年に一度の義理を果たしたとばかり、済んだ済んだと帰っていく。
 「あの挨拶は何だ!」と役員に文句を言ったのは私一人だった。

 そんな馬鹿げた総会を体験したので、役員になった今年は、まず「挨拶などすべてやめてしまえ」と主張した。
 それに対しては、前例踏襲を旨とする守旧派の役員から、反対の声が上がる。「N町内会長の挨拶はやめるわけにいかんでしょう、ご祝儀ももらってることだし…」。

 議員の挨拶はやめるべきだと私は食い下がる。
 特定政党の議員だけを呼ぶのはおかしいのではないか、仮にどうしても必要なら市議会の全政党に声をかけるか、毎年違う政党から呼ぶかしないと公平とは言えないだろうと主張した。
 これについてはほぼみんな納得したようで、今回議員の挨拶はなしでもいいんじゃないですか、という形でうまく納まった。

 議員を呼ぶという風習はどこから始まったのか。
 以前この町内会から市会議員になった人がいるらしい。その人の応援というのがそもそもの始まりではなかったかと推測する。
 しかしこの町内会は特定議員の後援会ではない。
 調べてみると、地方自治法第260条の2にちゃんと書いてある。

 「認可地縁団体(町内会等の組織のこと)は特定の政党のために利用してはならない」
 
 「利用する」をどう捉えるかの問題はあるが、重要なのは「特定の政党」にある。政治的には中立であるべきというのがこの「認可地縁団体」の基本なのだ。

 この第1回の役員会で、次の総会では議員を呼ばないということが正式に決まった。
 これは、前例踏襲、最大限何もしないで1年を過ごす、を行動方針としている歴代の役員会からすれば画期的なことなのである。

二度目の「湖国を描く絵画展」

 同展への出品は今年は自分にとって2回目。
 昨年は初入選を果たしたので、今回は入賞狙いという贅沢な野望をいだいて作品を搬入した。
 作品は今年も2点。ひとつはM40の作品(これをAとしておく。運がよければ、という程度に描いた作品)。
 もう一つが本命と考えていたF50の作品(Bとしておく。応募規定としても、自分の経験としても最大サイズであった)。

 今年のこの絵画展の特徴として、20周年記念で金賞の賞金がこれまでの倍の10万円になったということ、琵琶湖の景観が日本遺産に認定されたことを記念して、日本遺産認定記念賞が5作品分追加されたこと(賞金は各10万円)が挙げられる(以上は今年だけの特別措置)。
 したがって今まで22点の入賞作が、今回に限り27点になるということ。
 当然ながら応募数が増えるであろうことが予測された。

 去年の応募総数が299点であったのに対して、今年は同333点だったそうだ。

 それだけに、例年なら午前中に終わる一次審査が20分程度オーバーした。
 審査のやり方は去年と同じで、審査員も前回と同じ3名。
 作品を3点ずつ並べて、各審査員がひとり1票で挙手をするというやり方である。

 全作品が一巡したところで、3票を得た作品は25点だった。
 去年は18点だったからかなり多い。
 入賞枠が27点ということは、この3票作品でほとんど入賞が決まり、あと2点だけ2票作品から格上げされる形になる。

 そして、私の作品Bは、その微妙な2票作品だった(作品Aには、予想通りというか、票は入らなかった)。

 午後からはまず全体の入選作を確定するための、1票作品の足切りから始まった。
 そのあと、入賞作品の確定という作業に移る。

 残念ながら私はこの日べつの用があって、最後まで見ることができなかった。したがって2点の格上げがどうなったかはわからずじまいである。

 入選の内訳を見るとおおよそこうなる。
★★★★☆☆☆☆☆☆☆☆◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯

★:入賞(賞金あり)
☆:入賞(賞金なし)
◯:入選

 選外(△印)も含めた応募総数全体で見ると、
★☆☆◯◯◯◯◯◯◯◯△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

 入選率は27%と、かなり厳しい方ではないかと思う。

 私の作品Bは入選枠内には入ったが、2票作品群およそ50点の中から25倍の競争率を勝ち抜かないと入賞にはならない。
 残念ながら祈りしか残されていない(^^ゞ。

 審査の基準などについての感想は去年とほぼ同じなので、興味のある方は応募のいきさつと公開審査の模様を書いたこちらを読んでいただければよいだろう。

 やはり素人っぽさの残る作品はまず落とされる。
 非常にうまい、とても美しい‥‥という〈だけ〉の作品も遠慮なく落とされている。
 同時に、審査員3名三様の好みがあるなということも感じられた。
 また今回は応募数が多いこともあって、審査員といえども延々と続く絵の列に次第に疲れてくる。審査のスピードがだんだん早くなり、後半は悪く言えば手抜きっぽくなってくるのである。
 似たようなモチーフの作品は、早い段階で並べられたほうに票が入りやすいという傾向も前回と同様だった。

 審査自体は公平であるとはいえ、選定のシステムがこのような形である以上、運不運は必ずつきまとう。
 全作品を一望のもとに眺めるようなやり方(物理的に不可能だが)でも取らない限りは、審査順序に伴う不平等感が生じるのは仕方がないことなのかもしれない。

*    *    *
後日談

 2日ほど経って、審査通知書が送られてきた。
 特別賞受賞が確定。「NHK大津放送局長賞」だそうである。
 賞金のない賞だが、入賞は素直にうれしい。

 50点近い2票作品の中から、なぜ私のが選ばれたのか。
 祈りが通じたからというのは置いといて、やはりモチーフの選び方が勝因ではなかったかという気がする。

 去年の講評で、審査員の一人である日本画家の黒光氏はモチーフの独自性ということを強調していた。
 「こんなところを絵にするのか!?」というのが画家の視点だという表現をされていた。

 芸術的視点もそうだが、単に競争的原理からしても、他人と似たモチーフは選ばれにくい。
 樹齢何百年の古木や朝焼け夕焼けの情景など、誰もが描くモチーフは、公募展の大量の作品の中では当たり前すぎて新鮮味にかける。

 今回の私の作品はそれほど独自性があるものでもないが、少なくとも300数十点の絵の中に類似のものは見当たらなかった。
 残り2つを選ぼうとした時、他と違うものに目が行くのは自然なことではなかろうか。

 結果的に私は、ここに書いた去年の経験を素直に反省して、きちんと対策をしてきたのだなぁと今になって思う。

大飯原発差止訴訟 第7回口頭弁論・報告会

 2015年5月28日に京都地方裁判所で行われた、大飯原発差止訴訟 第7回口頭弁論。
 その報告会の概要をまとめました。
 発言者の氏名など詳しい情報は省略しています。雰囲気だけでも感じ取っていただければ­と思います。