クリスマスの街に出かけて、「ヤダ〜、なんでこんなに人が多いの〜」と顔をしかめたアナタ。
なぜ街がこんなにも混んでいて、いたるところ人だらけなのか。
教えてあげよう。
それはね、アナタがそこにいるからだよ。
アナタは一人でしかないが、別の一人も街に出ようと思っていた。
どこかのもう一人も、クリスマスの街に出ようと思った。
アナタはたった一人でしかなく、もう一人もさらにもう一人もみんなたった一人でしかなかったが、街はやがて大群衆で埋まった。
人だらけで不快だったかもしれないが、そのときアナタは、自分もまた大群衆の一人であることを忘れていたのかもしれない。
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12月の総選挙に、アナタは出かけただろうか。
ワタシ一人ぐらい投票してもしなくても、世の中は変わらない…と多くの若い人が言う。
たしかに、アナタの票はたった一票でしかない。
別の人の票もたった一票だ。
もう一人もさらにもう一人もみんなたった一票だけを投じることができる。
たった一人の人間がそれぞれ集まることで街が大混雑するのと同じように、たった一票同士が集まるだけで、やがて世の中は大きく変わっていく。
一票くらいで政治は変わらないとカッコよくシラケてみるのもいいだろう。
しかしアナタのその一票が、何万票を構成する一票であることにも気づいてほしい。
それぞれたったひとりでしかない人間が、集まることで圧倒的な大群衆になるという事実に、驚いてほしい。
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クリスマスをピークにして、「さびしい病」症候群が蔓延し、巷では「ひとりじゃない」という根拠のない慰めの歌が犬のクソよりもたくさんばらまかれている(だから「クリスマス慰撫」なんだという声もあり)。
昔、『ホーム・アローン(Home Alone)』という映画があった。
小さな子どもが、たった一人で留守宅を守る映画。
このタイトルの Alone はひとりという意味だが、寂しいとか孤独とかいうニュアンスはない。
一方英語には lonely という言葉がある。
こちらの方は、孤独であり、寂しいという意味だ。
日本語での「ひとり」は、この2つの意味を含んでいるため、完全に混同されてしまっている。
だから、alone で自立した人が、あたかも lonely で孤独な人のように誤解され、そのために「ひとり」がまるで悪いことでもあるかのように、「ひとりじゃない」という他者依存ソングが巷で跋扈することになる。
alone の意味の「ひとり」は、その人の行動を基礎づけ責任の所在を確定する基盤なのだ。
一人であるという自覚こそが、lonely という意味での「ひとりぼっち」をなくす連帯へとつながっていく。
「ひとりじゃない」のではない。
ひとりなのである。
ひとりこそが、出発点なのである。
ALONE, NOT LONELY.