オリンピックのためなら、というよりオリンピックの利権のためなら、全国民がウイルスで死に絶えてもかまわないという現毒載政権。
大相撲みたいに観客なしのオリンピックも考えてみたら?
オリンピックのためなら、というよりオリンピックの利権のためなら、全国民がウイルスで死に絶えてもかまわないという現毒載政権。
大相撲みたいに観客なしのオリンピックも考えてみたら?
一億総パニックの様相を呈してきた新型肺炎ウイルス。
誰もが我が事を心配して、余計なことはしないようにしようと自粛を始める。
命より大事なものはないといえばそのとおりだが、何だか気味の悪いこの風潮。
今からちょうど25年前の地下鉄サリン事件を思い出さないか?
戦後成長を続けてきた日本が、今日の心理的閉塞感のある国へと舵を切り出した、そのきっかけとなる事件だった。
権力はいつも人心の不安を利用する。
国民を騙すことしか考えていない現政権が、このチャンスを見逃すはずがない。
出版人が集まる「勁版会」という会合で、川柳のお話をします。題して「武器としての川柳」。
時:2020年2月21日(金) 19:00〜21:00
所:ウィングス京都 1号会議室
京都府京都市中京区東洞院通六角下ル
川柳に関心を持っている、あるいは少しはやってみたことがある、という方のために、簡単な歴史から川柳づくりのコツまでをお話します。
詳しくは↓から
◆「勁版会」とは勁(つよ)く、しぶとく生き残る京阪神の出版人の集い
父の親友であったSさん(2人とも故人)は、我が家に来た時によく戦争の話をしてくれた。
Sさんはビルマ戦線での生き残りのひとりだった。
「前線での長い戦闘が終わって、かろうじて部隊へ戻ってきたんや。
そしたら、大勢の兵隊が、部隊の外で、地べたに座り込んで、足を投げ出しずら〜っと並んどるやないか。
帰るのを待ってくれてたんか、と思うて、いま戻ったぞ〜と近寄っていったら、待ってくれてたんやない、みんな、死んどるんや‥‥」
前後の話は覚えていないが、この個所だけはゾッとして今も記憶に残っている。戦闘で死んだのではない。衛生状態の悪化、食料不足等で、赤痢などの病気のために下痢で糞尿まみれになりながら犬死したのである。
満州へ行った父の話も含め、もっときちんと話をきいておけばよかったと、今になって思う。
無意味な殺戮だった。
この国の中に生まれたガンのような組織に関して、死刑執行で何がわかったろうか。何が解決しただろうか。
唯一の理由である「被害者遺族の怒り」にも、果たして応えることができたのだろうか。
加害者が生きているうちは、遺族も彼らに対して怒りを向けることができた。
この世から消してしまうことで、その遺族の怒りすら行き場を失う。
遺族の無念は、何ら晴らされることがないのだ。
これが、世界で最も野蛮なファシズム国家のやっていること。
日本という国はいま、16世紀なのか?