最近翻訳に関してなるほどと思った事例。
知人が書いていた英文にイチャモンをつけた。
If I can fly this sky.とあった。中島みゆきの名曲、「この空を飛べたら」を翻訳ソフトにかけた結果だという。
ははぁ、なるほどね。それらしい訳になっている。
感心したのは、原文には主語がないのに、訳文にはちゃんと I が入っている。一昔前の翻訳ソフトならこういう芸当はできなかっただろう。「もし私がこの空を飛べたら」と書いてやらないと翻訳してくれなかったのではないだろうか。
Google翻訳で試してみると、「この空を飛べたら」はたしかにそのとおり「If I can fly this sky.」と出てくる。
しかし中島みゆきのこの歌は、空など飛べるわけもないのに空を飛ぼうなどと思う、叶わぬ願いを切なく歌っている。
その意味では、can fly ではなく英語ではまさに could fly とする、文法でいえば仮定法の表現でなくてはならないわけだ。
日本語では「もし月に行ったら」も「もしコンビニに行ったら」も文法的には何ら違いがない。
だが英語では、実現可能な「もし」と実現不可能あるいは実際にはありえない「もし」とを区別する。
If I went to the moon.
If I go to the convenience store.
との違い。
よく考えると日本語でも、実現不可能な仮定は過去形を使って「もし月に行ったら」と言うことが多く、実現可能ならば「もしコンビニに行くなら」と現在形を使う傾向が強い。
英語でも、動詞の時制を一段下げ過去形にして(go → went)、実現不可能な仮定を表す。この点については英語も日本語も同じであるのは興味深い。
そして余談だが、文法的にはこれを「仮定法過去」と呼ぶために、過去のことを表現するときに使うのだと勘違いする学習者が多いのは困ったものだ。
閑話休題(あだしごとはさておきつ)。
翻訳ソフトの発達は、文法解析の分野での進歩に依存している。
中でもチョムスキーの生成文法理論はその最たるものであろう。Google翻訳もこれに大きく依拠しているのではないかと想像する。
しかし上で見たように、同じ「もし」でも意味が違う時、自動翻訳はどう判断するのだろうか。言語規則に基いて、意味をあまり重視しない生成文法の欠点がここに出ているのではないかという気がする(ただし生成文法のきちんと勉強をしたことがない筆者なので、間違いがあればご指摘を乞う)。
もう一点。
Google翻訳では「fly this sky」となっている。
空を飛ぶ、ならばここは fly in this sky としなければならないのだが、なぜ誤訳になっているのか。
おそらく日本語が「空を」であるために、この「を」を目的語を要求する助詞と判断して、目的語として this sky を置いたものだと思われる。
しかし fly という動詞は、飛ぶという意味で使うときは自動詞である。目的語をとらない。
他動詞として目的語を取る場合は fly a balloon (風船を飛ばす)など「飛ばす」という意味になってしまう。
さて、Google翻訳をいろいろいじっているうち、日本語の入力によっては can が could になることもあるのがわかった。
最終的に、「もし私がこの空で飛べたら」と入れてやると、正しく If I could fly in this sky と翻訳された。
もちろん、今度は逆に日本語がおかしいのだが……。