誰がめいわく駐車をするのか

 一見さりげなく立っていて、どこにでもよく見かける看板。

 しかしこれほど不思議な看板はない。

 「駐車をしないでください」ならわかる。

 「違法駐車をしないでください」「不法駐車をしないでください」もわかる。法律で決まっていることだから、という明確な理由があるから。

 しかしこの「めいわく駐車」はわからない。

 考えてみてほしい。車を駐車場でない場所に停めようとする場合、誰が「迷惑駐車をしてやろう」と思ってするだろうか。

 もちろん、その家の人間に深い怨恨でもあって、恨みつらみのゆえに嫌がらせをしてやろうという確信犯的な動機でもあるのなら別だ。

 そういう特例を除けば、まず99%以上、迷惑駐車を目的に車を停める人はいないのである。

 できるだけ穏便に、なるべく迷惑にならないようにと恐る恐る車を停めるのである。

 そういう人たちに向けて「めいわく駐車をしないでください」という要請をしても、そもそも迷惑駐車をしようという意思がないのだから通じるわけがないではないか。

 家の前のプランターに植えてあるきれいな花を盗もうとする輩に「花を盗まないでください」と言うのとはわけが違うのである。

 よく考えてみれば、そもそも「迷惑駐車」などというものは実在する現象ではないというに気づくはずだ。

 「迷惑」行為は、それを迷惑と感じる人の視点からのみ認識することのできる、きわめて主観的な行為にすぎない。迷惑と思わない人から見れば、たとえそれが違法駐車であっても決して「めいわく駐車」ではないのである。

 したがってこの看板は、主観的感情をあたかも客観的現象のように取り違えた、はなはだ方向違いの警告だということができる。

 つまり、迷惑とは感じていない車の主にいくら呼びかけても何の効果もない、まったく無駄な看板なのである。

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