過剰潔癖の行く末は?

 外出にマスクはもちろんのこと、行く先々で手を消毒し、帰宅するとまずうがいをし、手を洗い、玄関のドアノブも消毒する。
 いや待て、それから服を着替えたら、服についているウイルスは家の中に飛び散るだろう。
 となると、玄関を開ける前に服を脱ぎ捨てて、その服は捨てるか1週間ほど放置するか。そしてまずシャワーを浴びて全身を清めたら、初めて汚染されていない服を着る。そうしないとウイルス感染を防ぎきれない。
 さらには、室内の手を触れたかもしれないあちこちをエタノール消毒しなければならない。外で使ったスマホもそのままでは部屋に持ち込めないから消毒だ。

 そうやって無事1日を切り抜けたとして、翌日、宅配の受け取りはどうするのか、郵便物にもウイルスが付着しているかもしれず、ゴム手袋で受け取っては消毒して部屋に持ち込むか。ほとんど神経を患いそうになるくらいの配慮をしないと暮らしていけない。

 がしかし、そういった一連の「対策」は「私は感染者ではない」ことを前提とした、架空の設定にすぎず、PCR検査もしてくれない現状では確証のないまま憶測の対策を取らざるを得ない。

 ではもし「私は感染者」だったとしたら?
 上記のような対策はすべて無意味。骨折り損のくたびれ儲けである。他の人に感染させないように、一切外出せず、長期の籠城を覚悟しなければならない。

 どちらにしても、シロかクロかがわからないまま、目標の定まらぬ「対策」なるものをし続ける必要がある。
 しかしこれ、耐えられるだろうか。

 日常を遥かに超えた過剰なる対策は、そもそも生身の人間にとって長く続けられるものではない。
 発病以前に、間違いなく精神的な病に落ち込んでしまうだろう。

 最近作った私の川柳に、

 肺炎か餓死かお好きに選べます

というのがある。
 たとえ発症せず餓死にも至らなかったとしても、過剰な潔癖を求めていてはやがて精神に異常をきたすに違いない。

 そんなことは、少なくとも私はゴメンだ。

 一般のインフルエンザ対策と同様のうがい手洗いを励行し、正常な精神状態を保ちつつ、それでも運悪く感染し発症してしまうのなら、それは天の定めと諦めようではないか。

 少なくとも私は、そう思っている。

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