京都シネマで見ることができなかった映画「NO」を、きのう梅田シネマで見た。
評判通りの優れた映画だったが、想像していたほど「劇的」な作品ではないなと思った。
一人の主人公(実際のモデルは2人の広告マン)を中心に描いているが英雄譚ではない。また運動的勝利を高々と歌いあげるようなプロパガンダ映画でもない。
当時のチリの状況は、今の日本にぴったり重なる。
圧倒的な独裁政権とバラバラの野党。
現在の私たちが何をしなければならないかというヒントに溢れているといってもよい。
深夜の15分枠に流すだけのテレビキャンペーンで何が変わるのか。
左翼陣営の、敵を否定するだけのネガティブな表現に対して、主人公は未来を想像させる広告的手法を主張する。
果たしてこのキャンペーンだけでチリの状況が変わったのかどうか、もっともっと多様な要素があったのではとは思う。
ただ、この広告マンが使ったのは、国民に確かに「届く」表現であり、硬直したプロパガンダではなかった。
我が国の市民運動に欠けているのもまさにこの点だろうと思う。
キャンペーンで「チリ、もうすぐ歓喜がやってくる」という歌が作られ、ことあるごとに歌われる。
字幕では「歌」となっていたが、「ジングル」という言葉が使われていた。つまり、CMなどで流されるごく短いフレーズの歌だ。
いつでもみんなで合唱できる歌。これが今までの我が国の市民運動にはないのだ。
この映画をみて、「歌がほしい」と切実に思った。
決して「敵」を揶揄するネガティブな歌ではない。
そのような歌には、不満をガス抜きする効果しかなく、人は何も変わらないのだ。
必要なのは、私たちの未来が感じられる、(できれば2部合唱できる)単純で力強い、短い曲だ。
連帯が意識できる、一歩だけ脚を前に踏み出したくなる明るい曲だ。