健さん健さんと世間はかまびすしい。
朝日川柳は
◆ 不器用に寡黙のままに漢逝く
というヒネリのない句を採用している。もう一句、
◆ 男たちの憧れすべて持っていた
という句も並べているが、そこには男は不器用であるべきで、寡黙であるべきで、それらがまた世間の男たちはみな憧れの対象としているという、この選者や世間一般が持つ類型的メッセージがある。
健さんの前には、「マメな男はモテる」という言説はかすんで見える。
話し上手でおしゃべりで、いつも人を楽しませ笑わせているような男は、健さんの前では肩身が狭い。
ここでいう「健さん」とは、もちろんスクリーンに投影された妄想としての健さんでしかない。
個人的に飲みに行ったら、高倉健はべらべらとうるさいやつだったとしても、それは共同幻想としての健さんとは別物なのだ。
健さんはスクリーンを通して、男のある一面だけを拡大し変形した、歪んだ価値観を世間に植えつけてしまった。
その意味では、非「健さん」的男性にとっては、非常な迷惑な存在だったと言える。
死者を悼み、褒めそやすのは世間の常識ではあるけれども、追悼の言葉の陰で、「そうではない」思いの人も数多くいることは、忘れるべきではない。
有名人をめぐる大騒ぎもいい加減にしてもらいたいが、なぜか、有名人が生まれるときには誰も話題にしないのである。