何とも講評に困るが、小学生などにありがちな文章。
一行目を「‥‥される、」と連体形にさえすれば文法的にも正しい。一方を連用形、他方を連体形とちぐはぐだから、妙な文章になってしまうわけだ。
「意味が通じればいいではないか」と開き直られそうな気もするが‥‥。
(撮影地:滋賀県草津市)
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某シニア向けSNSに「旧友探し」というサービスがある。昔住んでいた地域、通っていた学校で、誰か知っている人はいないかと探す、懐旧企画である。
その後ろ向きな姿勢の是非はこの際問わないとして、中程の文章、「〜に登録するには、この地域に住んでいた必要があります」に注目したい。
ちょっと唖然とする表現ではなかろうか。
「住む必要がある」「住んでいる必要がある」ならまだわかる。過去形の「住んでいた必要」とは‥‥。
考えるに、「必要」は過去形には用いられないことばであるようだ。『てにをは辞典』にもそんな例は載っていない。
ではどのように表現するのが適切か。これがなかなか難しい。
「住んでいたという条件が必要です」「住んでいたのでなければなりません」‥‥と少々回りくどい。
いっそ、「登録できるのはこの地域に住んでいた人だけです」と言い回しを変えた方がよさそうだ。
それにしても、この素朴な表現には意表を突かれた思いだ。
おなじみの珈琲用クリームだ。
意味の分からなさもおなじみ。
というのは、キャッチコピーの「褐色の恋人」。
「褐色の」を普通に修飾語として読めば、被修飾語が褐色であるという意味に取れる。つまり恋人が褐色であるということで、「茶色い恋人」ということに。
ところが、このコピーが言いたいのはそうではなくて、褐色とは珈琲のことを表わしている。つまり褐色である珈琲の恋人、褐色に対する恋人、という意味だ。
最初から「珈琲の恋人」と言っておけば紛らわしくないのに、変に詩的ぶってコピーを作ったために曖昧文になってしまった。
珈琲と限定したくなかったのだろうか。紅茶にも使えるから「褐色の」としたのか。
だったらほうじ茶やゲンノショウコにも合うのだろうか?
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