PC遠隔操作事件の判断ミスと君が代不起立

 誰もがこういう結果になろうとは思っていなかっただろう。
 片山氏を支援していた弁護士を含め多くの人たちは、結局騙されていたということになる。

 事件が急転回するひとつのきっかけになったのが、5月14日のレイバーネットTV

 マスメディアが取り上げないニュースを伝えたり、同じニュースでも労働者の立場に立って報道するのがこのレイバーネットTVの特徴だ。
 だが今回の場合、いつものパターンとは少し違っていたような気もする。
 これまでなら、冤罪被害者であったり、ブラック企業に働く労働者であったり、レイバーネットとしてはっきりと支援をするという立場をとってゲストを招き、紹介しつつ放送を進めてきた。

 ところが今回はスタンスが違っていて、冤罪「かもしれない」ゲストを呼んでの放送だった。
 そのために、容疑者とされている片山氏とその弁護人を呼び、彼らの説明を聞くという形をとった。
 もちろんその前段として、容疑がはっきりしていないのに389日もの長期勾留があったこと、マスコミの過剰な報道、マスコミを利用しての警察・検察の捜査の違法性など、レイバーネットして看過できない問題があったのは当然である。

 警察側、弁護側双方に、片山氏を有罪あるいは無罪とする決め手に欠けていた。
 したがって、レイバーネットTVでの本人および弁護士の話を聞いても、ほとんどの視聴者やスタジオにいた関係者には、片山氏が本当に無罪なのかどうか、確証が持てなかったのではないかと思う。

 しかしレイバーネットTVは最後に、一種のショー的な場面で終わろうと考えたようだ。司会者が「視聴者陪審員制度」と称して、「片山氏が怪しいと思うか、無罪だと思うか」と意見を問うた。

 冤罪かどうかの決め手はないままではあっても、獄中の苦労話や警察、検察、マスコミの酷さを聞かされてきたスタジオの人たちに、「片山氏が怪しいと思う」と発言する人はもちろん皆無だった。
 そして反対に「無罪だと思う人?」と聞かれて、拍手と歓声が起きるという展開であった。

 テレビを視聴していて、片山氏が絶対にシロという確信が持てなかった私自身、あの場で「怪しいと思う人?」と問われていたら「ハイ」とは言えなかっただろう。

 今になって考えてみれば、逮捕や勾留の不当性、マスコミの堕落といった話と、片山氏が真犯人か否かという話とはまったく別物であった。
 しかし放送の流れの中で、何となく「可哀想、支援しなくちゃ」という雰囲気ができあがってしまうと、その場にいる人には特に、大勢に逆らって「いや、私は怪しいと思う」とは言えなくなるのだ。
 本来なら冤罪かどうかの決め手を確定して判断基準とすべきなのに、この時のスタジオ内の判断基準はゲストとして招いた人と親しく話をすることによる「情」になってしまっていたということができる。

 「情」を否定すれば「非情」である。
 仲間が集っている気楽な場であるスタジオですら、場の空気を乱す発言がしにくくなる──強い同調圧力がかかるのだということは、心に留めておいてよいことではないかと思う。

 まして、場を乱す行為が本人の職を奪い生活を狂わせ、家族にまで大きな影響を及ぼしかねない「君が代不起立」などの場合、敢えてその行為をすることがどれほどの強靭な精神力を要するか、想像するにあまりあると言わざるをえない。

 君が代不起立の教師たちを支援する立場のレイバーネットですらこういう状況なのだということに、私は今回の事件で初めて気づいた。
 もちろん、自分自身への痛恨の反省を込めてのことであるが。