敵は町内会にあり その2

 第1回で、「議員を呼ばない決定をした」と書いた。

 この決定へと持ち込むにあたっては、ひとつの読みと作戦があった。
 今回の8人の班長のうちのひとりZ氏は、この町内で唯一、共産党支持であることを明確にしている人だった。確認はしていないがおそらく党員なのだろうと思う。
 すでに会長を経験している人であり人望もあるのだろうが、あまり町内の行事に顔を出すことはなく、私は今まで言葉をかわしたことがなかった。
 で、この人が役員になる以上、自民党議員を総会に呼ばないようにしようという提案に対して、反対をするわけはなかろうという読みであった。
 ただ、旗幟鮮明にしているということは、保守的な土地の中で白い目で見られる場合があるということでもある。もしもZ氏が何か言えば、「どうせまた共産党が」という目で見られかねないということだ。

 そこでまず私は、議員の件に関してはZ氏が最初に言い出すことのないようにと考え、自分の方から積極的にこの件を議題に持ち込んだ。
 その上で、議論の中でZ氏がそれとなく賛意を示すという流れを作って全体を賛成の方向に持って行くという作戦で臨んだ。
 結果的にそれが成功した。ただ、Z氏の賛意の示し方が少々穏やかすぎて、賛成ではないのかと思った一瞬もなくはなかったのだが。

 さて、2回目の役員会が開かれた。
 今年の会長Y氏は、去年までの町内会のやり方についてかなり勉強した模様で、すでに自分で総会に必要な書類を作り始めていた。
 ただしその方法は、完全な前例踏襲である。
 よくも悪くも過去の慣習どおりにやっていこうとしていた。
 進取の気性とはまるっきり正反対の、歴代役員会がたどってきた道、つまりなるべく波風を立てず、上部団体には逆らわず、形式通りに進め面倒な議論は避け、首をすくめて頭の上を風が通り過ぎるのを待つという保身術である。

 町内会の欠点がわかり始め、様々な問題点があらわになってくるのを見るにつけ、何とか改革をしていかないとと思い始めた私の考えとは正反対なのである。
 そこで、Y氏が従来通りの方針を言い出すたびに、それでいいんですか、変えるべきなんじゃないですか、こうしたほうがよくはないですか…となるべく穏やかにツッコミを入れる。
 そしてチラとZ氏の方を見ると、彼はおもむろに「その方がよさそうですね」と賛意を示す。
 こうして暗黙ではあるが、2人の連携プレーが機能して、今のところうまくいきそうな予感がしている。

 次年度の活動方針は、Y氏にまかせておけば「何もしない」か「従来どおり」、あるいはさらにもっとしないという結果になっただろう。
 というのは、毎年やっていた町内をあげてのバスツアーが、アンケートを取った結果、中止という意見が圧倒的だったので、やめることになったのだ。
 その代わりになにをするか。前年度の役員会はただ「やめる」と決めただけ。そして我々の役員会でも、Y氏まかせであればそのまま何もしない、つまり行事をひとつ減らすことが活動方針になっただろう。

 そこでまた私が口を出す。
 リクリエーションを減らして、それでおしまいでいいんですか。ひたすら消極的な活動方針ですね。もっと何か積極的なことを考えなくていいんですか…云々。
 例えば、と私が例示したのは2つのアイデア。この町内で非常に手薄になっている防災意識を高めることと、住宅地が開発されて40年が経過するにあたって、自らの足元を見つめなおすためのふるさと史誌の発行。

 実はこの2つとも私のアイデアではない。
 この町内のことをよく知っているベテランから愚痴とともに聞いた話を、町内改革のきっかけになりそうだと思って拝借したのである。
 これもまた、Z氏との阿吽の呼吸でうまく活動方針の中に盛り込めそうになってきている。

 まだまだ問題点はある。
 小さなことでもひとつひとつ変えていって、住民の惰性意識にコツンと石でもぶつけてやろうというのが私の目論見である。
 例えば総会議案書には必ず「平成◯◯年度」と書かれている。
 私は今、議案書制作の過程で、黙って「2016年度」に書き換えている。
 もっとも、固陋な古老に文句を言わせないために、カッコ書きで元号も書き添えてはいるのだが。

 時代がどんなに動き、変わっても、前例踏襲の役員会の意識は変わらない。
 それがつまり、戦後自民党政府が培ってきた保守反動の温床となっているのだ。
 少しずつでもそこにタガネを打ち込まなくてはならないと思う。

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