前回の「その4」が町内会の総会準備真っ最中の3月だったから、もう半年以上、あっと言う間に月日は経ってしまった。
総会は無事終わり、議案書に盛り込んだ事業計画も順調に進んでいる。
では、それ以来きょうまで何事もなかったのかといえば、実はある。それもきわめて重大な問題が。
しかしいまはそれを後回しにして、8月に行われたN町内会のサマーフェスティバルなるもの、つまり夏祭りについて先に報告しておこう。
このサマーフェスティバル、私は今まで参加したことがなかった。去年は寄付金1000円を払って「お楽しみ抽選会」のチケットももらったが、すっかり忘れていて参加しなかった。
どうせ一町内の夏祭り。夜店が出て舞台でシロウトの歌や踊りが披露されるというワンパターンに決まっている。
ただ今年は私自身が町内の役員になったために、N町内会から会場の手伝いを割り振りされた。会場設営と、祭りが始まってからはゴミ当番をやってくれとのこと。開催中に出てくるゴミをチェックし、集積所に運ぶなどのボランティアである。
会場は公園、といっても樹木などの一切ない、フェンスに囲まれた長方形の運動場のような場所。面積的には5000平方メートルほどもあるのだろうか、中規模の小中学校の校庭ほどの広さである。
さて、祭りが始まってみて、実のところ非常に驚いた。
次から次へと人が集まってくるのである。
それも、小さな子どもを連れた若い男女が圧倒的に多い。
私たちの町内会ではせいぜい数軒の40代の家族以外はすべてほぼ70代以上の高齢者である。盆と正月に里帰りしてくる孫たちを見かけるのがせいぜいだが、ここは違う。子どもたちがうじゃうじゃいる。どうしてこんなに年齢層が異なるのか‥‥。
演し物が次々と替わっていって、宴たけなわとなる頃には公園内は大げさでなく立錐の余地のない大混雑となった。
ゴミ袋を持って敷地内を横断するにも、身体をくねらせないと通行できない人だかりである。
あとから、主催者発表で1200人との報告があった。おそらく誇張でなくそれくらいはいたと思われる。
そして、賑やかな催しが一通り終わったところで、何の衒いもなく、しれっと行われるのが恒例の「挨拶」である。
登壇するのは、7月に行われた参議院議員選挙で当選した自民党の候補者。
さらには、同じく自民党の現職参議院議員も。
「みなさまのおかげで」「お世話になりました」「地域の活性化に」云々という言葉が、楽しい楽しいお祭の騒ぎの中で、自民党とこのフェスティバルがまるで一体のものであるように語られるその効果を考えてみてほしい。
ここまではお祭り、ここからは政治の話、ではないのだ。
お祭りという楽しい流れの中で、その延長線上に自民党がある。
聴衆はこれらの参議院議員が何をした人か、何をしようとしている人かなどは全く知らないまま、なんとなく自民党というものがこの地域の、私たちの、このお祭りに欠かせない役割であるかのように、自然に洗脳されていくのである。
このN町内会はざっと900軒、およそ2000人の人口を抱えた地域である。
考えてもみてほしいが、どこかの市民運動団体が、反原発でも平和運動でも何でもよいが、2000人の人口から1200人もの人たちを動員でなく集めることができるだろうか。
政治的スローガンを掲げて、何万人という街中で数人のメンバーが拡声器を使って呼びかけ、100人に一人くらい振り返らせる運動と、上記の、1200人の若い人たちが喜んで駆けつけ、自民党に知らず知らず馴染んでいくこの「村」のやり方と、ぜひ比較衡量していただきたいと思う。
これがまさに、選挙ではドブ板と呼ばれる保守派の戦略であり、草の根保守の方法論なのである。
国際情勢がどうの、経済政策がどうのという「理屈」で国民を説得しようとしても、国民は動かないのだ。
動かないことをもって愚民だ、B層だと非難しても何の効果もなく、負け犬の遠吠えにしかならない。
敵は草の根のシステムを最大限に活用して、人々が政治と気づかないうちに政治の方向性へ、それもうんと右寄りの路線を歩かせるように仕向けている。
その方法論に学び、敵は大所高所ではなく町内会に偏在しているのだという事実をまず確認することが、私たちに求められているのではないか。敵は町内会にあり、なのである。