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歌謡曲探訪2 東京のバスガール

 1957年、まだ日本が高度経済成長に突入する以前の曲である。
 「バスガール」という言葉自体すでに死語といえるが、女は家にいるのが普通と思われていた時代に、明るく働く女性はある種新しい時代を感じさせたのかもしれない。
 もちろん、いまやバスに車掌が乗っていたこと自体、知らない人が多いのだろうけれども。

歌:初代コロムビア・ローズ 作詞:丘灯至夫 作曲:上原げんと

1 若い希望も 恋もある
  ビルの街から 山の手へ
  紺の制服 身につけて
  私は東京の バスガール
  発車オーライ
  明るく明るく 走るのよ

2 昨日こころに とめた方
  今日はきれいな 人つれて
  夢ははかなく 破れても
  くじけちゃいけない バスガール
  発車オーライ
  明るく明るく 走るのよ

3 酔ったお客の 意地わるさ
  いやな言葉で どなられて
  ほろり落とした ひとしずく
  それでも東京の バスガール
  発車オーライ
  明るく明るく 走るのよ

 時代を感じさせるのは3番の歌詞ではないだろうか。
 酔客に絡まれれば、今なら直ちにセクハラとして糾弾されるだろう。
 しかしこの時代、もちろんハラスメントいう概念はなかった。女性、特に若い女性は少々イヤなことがあっても我慢しなければならず、そのような態度が女性の規範として強要されていたということもできる。

 セクシャルハラスメントという概念が日本で定着したのは90年台。この言葉は、それまで不当にも我慢を強いられてきた女性を解放する、強力な武器となった。
 それよりはるか前に作られたこの曲、当時の風俗を正確に描いているとも言えるし、「明るく走るのよ」とやはり我慢を強いるメッセージを伝えているとも言える。

奇妙な歌謡曲探求1 石原裕次郎「錆びたナイフ」

錆びたナイフ
歌:石原裕次郎 作詞:萩原四朗 作曲:上原賢六

砂山の砂を 指で掘ってたら
まっかに錆びたジャックナイフが 出て来たよ
どこのどいつが 埋めたか
胸にじんとくる 小島の秋だ

 裕ちゃんファンも、いまや後期高齢化していることだろう。
 それでもこんな歌は懐かしいのではないだろうか。

 それにしても、常識のある人なら唖然としてしまう歌詞ではある。

 裕ちゃんが「小島」というのだから、たぶん新島あたりか。
 その砂浜から、錆びたジャックナイフが出てきた。
 おそらく大多数の人は、「こんなところにナイフ! 危ないじゃないか」と思うだろう。
 場所柄、大勢の人が海水浴に訪れるような場所に違いないからだ。
 「どこのどいつがうずめたか」とは誰しも考えるが、しかし裕ちゃんは怒っていない。
 「胸にじんと来る」のである。

 2番の歌詞では、

薄情な奴を 思い切ろうと
ここまで来たか 男泣きしたマドロスが
恋のなきがら 埋めたか
そんな気がする 小島の磯だ

 つまり裕ちゃんは、想像上の失恋男性を胸に描いて、妙に共感しているのである。
 「危ない」と思う以前に、ロマンの世界に入ってしまっている。実に幸せな人だ。

 3番の歌詞では、

海鳴りはしても 何も言わない
まっかに錆びたジャックナイフが いとしいよ
俺もここまで 泣きに来た
同じおもいの 旅路の果てだ

と、とうとうナイフがいとしいとまで言っている。アンタ、常識ってものはないんかい?

 実はこの歌詞、元歌がある。石川啄木の、

いたく錆びしピストル出でぬ砂山の砂を指もて掘りてありしに

という短歌だという。
 啄木を愛唱していた作詞家の萩原四朗が、この歌をヒントに、ピストルをナイフに置き換えて作ったのだそうだ。

 もちろん啄木は、ピストルを「いとしいよ」なんて言ってはいない。

機動隊に轢き殺されそうになったOさんの手記

 レイバーネットメーリングリストに投稿された、Oさん(私も面識のある女性)です。
 転載は自由ということになっていますのでこちらにも書きます。実名だけ略しました。
 沖縄でどれほどの政府による暴力がなされているか、ひとつの明らかな証言といえます。
===

 Oです。

 ご心配をお掛けし、お騒がせしてしまい申し訳ありません。さきほど伊江島に戻ってきました。

 昨日病院の緊急外来で緊急の措置が必要な異常があるかと、骨の検査をして一泊して退院しました。特に異常は見つかりませんでしたが、外科の診察も必要なので、それは来週行うことになりました。

 ごく簡単にご報告しますと、午後6時半ごろ、ランドクルーザーの警察車両(「指揮車」というらしいですが)の前に私が立ちその進行を止めていました。現場指揮官も、指揮車は動くな、という指示を出していたこともあり、私も排除されることはありませんでした。時間も長引いてきたので、その場に座り込んでそのまま止めていましたが、何分か経つと、私の帽子に車体が当たったので、指揮車が後退するために動き出したのかと思ったのもつかの間、ジリジリを前進を始め、車を背にあぐらをかいて座っていた私を二つ折りにするようなかたちで、のし掛かってきました。
 私は瞬間的に「押しつぶされる」「殺される」と感じ何らかの声を上げたのは覚えてますが、精神的にパニクっていたと思いますので、その後の記憶は飛び飛びです(意識を失っていたわけではありません)。

 この後のことは周りから聞いた話ですが、このときの警察の対応もひどく、運転手も降りて来ないし、もちろん被害者の救助もしようとしない。現場検証もしないまま、車も移動させてしまう。こうした対応に緊急抗議行動が取られていると、救急車で搬送中に、同行してくれた仲間が教えてくれました。

 幸いにも、大きな異常も現在は見つかってないので、養生をしながら通院と名護署の対応をしていきたいと思っています。今朝も名護署に行きましたが、名護署としてはまだ事故として認定したわけではない旨の発言をしていましたので、まだ先行きが不透明です。

 なお、現場を見ていた女性が大きな声をあげたため、警察車両は止まったとのことで、もしこの女性が声をあげていてくれなかったらと思うとゾッとします。

 重ねてではありますが、お心配をお掛けした皆さまにはお詫びとお礼を申し上げます。

 報道でご存知とは思いますが(本土でどれほど報道されているかわかりませんが)、数と力にものをいわせた機動隊による激しい排除により、本日もけが人が続出したため、阻止行動は中止され、市民が設置していたゲート前のテントや車などは機動隊により、あるいは自主的に撤去されたのち、防衛局による金網が即座に設置され、これまた即座に工事のための伐採が始められてしまいました。

 しかし抵抗運動はこれからも続きます。今後もぜひ高江、辺野古、そして伊江島、沖縄での軍事機能強化の動きへの異議申し立ての声を上げていただきますようお願い致します。

映画『FAKE』の虚実皮膜

1.
 タイトルの「いかにも」らしさ。
 マスメディアが大仰に言い立てるならともかく、ほかならぬ森達也の映画のタイトルが「FAKE」ときては、その策略を憶測したい気持ちが働いても無理からぬ話と納得していただけるだろう。

 マスメディアが造形しているはずの佐村河内という人物の虚像にどっぷり浸かっているであろう私としては、森氏がそこに何やら嗅ぎつけたということのへ興味が大きかった。
 なにしろあの「A」「A2」で、誰もが思いもしなかったオウムの内部に潜入した監督である。

 何らかの裏話として、どのように取材許可をとったのかとか、条件交渉などはあったのかとかというところにも関心はなくはないが、それは枝葉末節だ。おそらく、「取材させてほしいと言ったらOKもらったからだ」という「A」のときと同じ程度の、肩の力の抜けたスタンスではなかったろうかと推測する。

 それにしても、薄暗いダイニングキッチンのテーブルにカメラを置いて第一声を発する森監督のスタイルは、それだけでドキドキするものがある。

 「A」を観た友人が「船酔いした」という手持ちカメラのフラつきやぶん回しのカメラワークは今回はない。
 室内の落ち着いた空間に、カメラはしんと落ち着いているように見える。

 たいていの観客は、この時点で佐村河内氏を疑いの目で見ている。
 監督も同様、難聴であるとはどういうことなのかと、声を出して反応を確かめたりしている。観客は自分の疑問を監督の行為に寄り添いながら確認しているわけだ。
 難聴は嘘だという新垣氏側の主張が示され、逆に医者の診断書をマスメディアが正しく取り上げていないという問題も出てくる。難聴はほんとうらしいが、でもウソかもしれないという虚実皮膜の宙ぶらりんに放り投げられたまま、観客は画面に引き寄せられていく。

 それにしても、マスゴミと揶揄される巨大メディアが、ひとたび標的とした個人を利用しいじり回し、からかいいじめ抜く徹底した嫌がらせの数々に、よくもまぁ佐村河内夫妻は耐えぬいたものだと痛切に思う。
 こういう騒ぎの中では、障害者の福祉だの人権だのという言葉は虚空にかすんで見える。
 叩いても我が身は安全だとわかればすさまじい匿名のバッシングが湧き起こることは、五輪のエンブレムにせよ都知事叩きにせよ目にしたとおりだが、まことに容赦がない。
 映画の中でもマスメディアからの出演依頼が登場するが、佐村河内氏が簡単に了承できないのは、過去のそういったバッシングの恐怖からなのだという。

 様々なエピソードが、監督が佐村河内邸に頻繁に出入りする中で語り出される。
 詳細に見聞きしてやっと理解できる微妙な話は、他人に伝わる時点で一部省略されてしまう。マスメディアのわかりやすい語り口に翻訳された時には、微妙なひだは一切剥ぎ取られ、誰もが容易に理解できるアレかコレか、1かゼロか、白か黒か、善か悪かに転換されてしまっている。

 なるほどそうなんだなと、この映画を観ながら私は納得した。普段使っているパソコンのアプリ、Photoshopの一機能のように、物事は簡単に2値化されてしまうのだなぁと。
 この映画の大きな狙いの一つは、口当たりのよいマスメディアの伝え方に潜む、とんでもないウソ、であるのだろう。
 
 ウソをついているのかもしれない佐村河内側の主張と、それの批判者である新垣、文春の神山といった側の主張も、そのうちだんだんと怪しく感じられてくる。
 監督の取材依頼に対して、なぜ拒否をしなければならないのか…、釈然としないのだ。

 同時にまた、佐村河内氏の主張の一つである、作曲は新垣氏との共同作業によるものだという点について、果たして楽譜が書けず鍵盤が弾けないと言われている佐村河内氏が、単なる紙上のディレクションだけをもって共同作業と言いうるのかというところに、海外からやってくる取材記者の視点も観客の視点も集中してくる。
 新垣側には作曲をしたという証拠は山ほどあるのに、なぜあなたにはそれが示せないのかと記者に詰め寄られ、部屋が狭いから鍵盤も捨ててしまったなどと答える佐村河内氏に、私も「あちゃ〜」な思いを禁じ得ない。

 だが、このあたりの計算が実によく出来ているのがこの「FAKE」だ。
 観客の失望感を引き出すそのシーン自体、このあとに控える、宣伝文句にいう「衝撃のラスト12分」を存分に演出するための伏線だったとは!

 脱帽である。

2.
 映画作りとして特筆すべき点、それは今回の森監督作品の場合「しかけ」だ。
 あるいは対象への介入、あるいは陽動作戦と言ってよいかもしれない。
 そのやり方も、明確に挑発的である。

 一般にドキュメンタリーには、そこにある事実を忠実に伝えるのが本来的なものであるという幻想がある。
 「選挙」や「演劇」などの作品で有名になった想田和弘監督の方法論は「観察映画」だといわれる。
 一見、撮影側の主体性まで消して対象を映し出すと捉えかねられないこの「観察」という方法は、あくまで理想論というべきだろう。
 主体を隠すなら隠し撮りしか方法はなく、純粋な観察などあり得ようがない(実作の例を出せば、韓国映画の「牛の鈴音」がそれに近いかもしれない)。むしろこの観察映画という言葉は想田監督のキャッチコピーにすぎないと私などは思っている。
 またそのキャッチコピーすら実作とはずれがあり、例えば「選挙2」では観察どころか、相手が嫌がっているのに、子どもっぽいほどの意固地な態度を見せて撮影を強行するシーンがある。

 それはともかく、もし観察映画と呼ぶにふさわしい映画があるとするならば、まず筆頭に挙げるべきは森監督の「A」だろう。
 手持ちのカメラひとつ、初心者に必要な撮影上の注意を与えなければならないほどシロウトっぽいカメラワークで、かつ、上映された作品には音楽なし字幕なし、ナレーションもトランジションもないという、想田監督がいう「観察映画」そのものだった。
 (もとより私は、観察映画と称するのに音楽や字幕がないという条件など不要と考えているので、この点でも想田監督の意見には賛成できないが)。

 そういった観察映画的な手法と対局に位置するのがこの「FAKE」だろう。
 終盤、森監督が佐村河内氏に対して、「音楽が好きなら音楽をやればどうか」とはっきり挑発する場面がある。
 ドキュメンタリーと呼ばれる映画製作にしてこのスタンスをとったということが、本作品を稀有のドキュメンタリー映画にした決定的なポイントだと私は思う。
 いわば、ドキュメンタリーとして成立すべき事実そのものを、監督自らが紡ぎだしているのだ。
 この手法は、ずっと以前誰かの作品で見たような気がしているが、残念ながら思い出せない。ただ「忠実」だけがドキュメンタリーの方法ではないということは心に留めておきたい。

 私の直感でいうなら、森監督は決して佐村河内氏を頭から信用はしていなかったと思う。序盤はもちろんのこと、中盤での、「私のことを信じているか」という問いかけに対して「信じていなければ映画は撮れない。心中する覚悟だ」(要旨)という発言は、それこそFAKEなのではないかとすら思う。しかし、それがまさに映画作りに必要な要素であるということも急いで言っておかなければならない。

3.
 作品の筋立てに関するメインストリームとは別に、この映画には作品をうまく飾り付けている脇役的な要素も多い。
 「A」とは違って観察映画的でないということは言ったが、この作品には字幕もあり、音楽もあり、トランジションもある。はっきりと「A」とはスタイルが違っている。

 トランジションなどなかったという人がいたら思い出してほしいが、佐村河内家のネコである。
 この、実にチャーミングなネコが、時には人が解説する以上の状況説明をみごとにやってのける。
 場面転換の役割と人間世界への皮肉な視線。これにはマイッタと思った。

 おそらく取材当初はそれほどメインの対象者でなかったのではないかと思われる、佐村河内氏のお連れ合い、香さんの存在は、映画の中で非常に大きなウエイトを占めているように思われる。
 冷静で終始落ち着いた人物として、そして何より佐村河内氏を徹底的に支える役割として、私生活はもちろん、この作品全体の安定感を増す役割も果たしているように感じられた。
 事件の渦中で、佐村河内氏が妻に離婚話をしたことがあるというくだりでは、私も思わずもらい泣きをしてしまった。

 映画としては、やがて物語の展開上クライマックスを迎えるが、果たしてFAKEとは誰のことなのか、今まで善人と思っていた人物が悪人に変わりそうでもあり、そうでなさそうでもあり。しかし仮にそうだったとしても、善悪や白黒の二元論がただオセロのように逆転して解決というわけにはいかない。
 森監督が狙ったメディアの闇は、二元論では解決できないからだ。

 「衝撃のラスト12分」を口をあんぐり開けてあれよあれよと見終わったあとも、観客は「本当はどうなんだ」と試される。
 「私に隠していることはありませんか」と森監督は最後、佐村河内氏に問いかける。長い沈黙の後、果たして答えはどうなるのか。
 そこをどう見せるかは「事実」がどうかではなくて「編集」にかかっている。
 どのようにでもドキュメンタリーは嘘をつけるのであり、どのような答えも出せるのだ。

 ものごとを素直に見せるためには、素直でない策略、すなわちケレンを駆使しなければならない。
 それを熟知して、このシーンを編集しているのが森監督なのである。

フェリーニの「サテリコン」

 多分40年ぶりに、フェリーニの「サテリコン」を観る。
 ツタヤの宅配DVDにて。
 昔観た時、何がなんだかわけがわからず、ただ悪夢を見たような記憶だけがずっと残っていた。
 あの悪夢は何だったのだろうと胸に引っかかっていて、今回はその悪夢の正体を見極める解決編…であればよかったが、いま観ても、やっぱりわけはわからない。

 何とまぁ絢爛豪華な退廃であることよ。
 キリスト以前のローマの物語。
 予告編にあったキャッチコピーが面白い。「キリスト以前、フェリーニ以後」。

 映画の制作は1969年。
 建物の崩壊シーンなど、現在ならCGでたやすくできることでも、当時そんな技術はなかった。どのようにして特撮を行なったのか、メイキングを記録した「フェリーニ サテリコン日誌」という映画があるそうだが、残念ながら入手困難。見てみたいものだ。
 
 大道具以外に、登場人物についても(特にその他大勢の出演者たち)感嘆することは多い。
 何しろ退廃の成り上がり貴族である。食って寝てまぐわうことしかない生活。そんな生活ぶりを見せるための異形の登場人物たち。
 よくもまぁこれだけの「美しくない」人々を集めたものだと感心する。
 
 ミロス・フォアマンの「カッコーの巣の上で」なら、役者たちは精神病患者を演じればよかった。
 しかしこのサテリコンでは、一見して異様な風体の男女が必要だ。それをよくもまぁ集めたものだと感心せざるを得ない。
 当然職業俳優だけでは無理であったろう。

 映画のストーリーのととりとめなさは、おそらく原作の小説に依っているのであろうと思われる。
 全容がよくわかっていない小説をここまでの映画にしたのは、やはりフェリーニの手柄というべきかもしれない。
 それにしても、メイキングを見てみたいものだ。