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フェリーニの「サテリコン」

 多分40年ぶりに、フェリーニの「サテリコン」を観る。
 ツタヤの宅配DVDにて。
 昔観た時、何がなんだかわけがわからず、ただ悪夢を見たような記憶だけがずっと残っていた。
 あの悪夢は何だったのだろうと胸に引っかかっていて、今回はその悪夢の正体を見極める解決編…であればよかったが、いま観ても、やっぱりわけはわからない。

 何とまぁ絢爛豪華な退廃であることよ。
 キリスト以前のローマの物語。
 予告編にあったキャッチコピーが面白い。「キリスト以前、フェリーニ以後」。

 映画の制作は1969年。
 建物の崩壊シーンなど、現在ならCGでたやすくできることでも、当時そんな技術はなかった。どのようにして特撮を行なったのか、メイキングを記録した「フェリーニ サテリコン日誌」という映画があるそうだが、残念ながら入手困難。見てみたいものだ。
 
 大道具以外に、登場人物についても(特にその他大勢の出演者たち)感嘆することは多い。
 何しろ退廃の成り上がり貴族である。食って寝てまぐわうことしかない生活。そんな生活ぶりを見せるための異形の登場人物たち。
 よくもまぁこれだけの「美しくない」人々を集めたものだと感心する。
 
 ミロス・フォアマンの「カッコーの巣の上で」なら、役者たちは精神病患者を演じればよかった。
 しかしこのサテリコンでは、一見して異様な風体の男女が必要だ。それをよくもまぁ集めたものだと感心せざるを得ない。
 当然職業俳優だけでは無理であったろう。

 映画のストーリーのととりとめなさは、おそらく原作の小説に依っているのであろうと思われる。
 全容がよくわかっていない小説をここまでの映画にしたのは、やはりフェリーニの手柄というべきかもしれない。
 それにしても、メイキングを見てみたいものだ。

敵は町内会にあり その4

 N町内会の事務所は、傘下のわれわれ町内会が書類作りなどをするためにコピー機、輪転機が利用できるようになっている。
 来週予定している総会準備の役員会に向けて、目下総会議案書案づくりの真っ最中である(このために私は毎日かかりきりである)。
 きょうの午前中、私と会長のY氏とでこの事務所へ行き、役員人数分のコピーをした。
 Y氏はせっかくだから総会の日程を伝えておこうと事務所内に入った。たまたまN町内会長であるF氏がいた。
 Y氏が日程を言おうとすると、「正式に会長あての招請状を出せ」と命令口調のあたりはばからぬ大声である。
 Y氏が、いやとりあえずお伝えして…というと、F氏は「お前ら、N町内会を脱退するそうやな」とまた大声。
 Y氏が、いやそんなことはまだ、これから考えるので、今は何も…としどろもどろになっていると、F氏「そんなにいやなら出て行け。払うもんも払わんと出すもん出せやと? そんな身勝手が通るか!」と脅迫である。

 もちろんわが町内会で、N町内会を離脱するなどという話は何も出ていないし(以前から離脱論はあるが)、離脱を口にしたものがいるわけもない。
 先日われわれ3人が話を聞きに行ったことを、そのとき応対した副会長が、「あの町内の連中は離脱を考えている」とデフォルメして伝えたに違いないのだ。
 彼らにとっては、傘下の町内会は上部団体の指示に唯々諾々と従うもので、逆らうことなどありえない事態。つまりあの「団交」が即反逆と映ったのだと思われる。

 この罵声を浴びて、Y氏はすっかりビビってしまった様子で、小声で「法律論など振り回さず、黙って払ったほうが万事うまく収まるのでは…」と言う始末。完全に腰が引けてしまっている。

 午後、書類作成の作業が一段落したので時間ができ、以前から気になっていたことを実行に移そうと車に乗った。
 ひとつは、町内会の上部下部などという組織形態になにか法的な裏付けがあるのかどうか確認したかった。また、町内会として独立するのはどれくらい大変なのかの確認もしたかった。
 そこで出向いたのは市役所の「まちづくり」課である。

 2人の女性が応対して、丁寧にせつめいしてくれた。
 それまで私は、町内会というのは地方自治法第260条に規定のある「認可地縁団体」とイコールだと思っていたが、そうではなく、認可を受けているのは町内で土地を所有するような少数の町内会のみ。あとは市には届け出はするものの完全な任意団体だということだった。
 したがって町内会自体の仕組みは個々バラバラだということ。これは新しい知見だった。

 町内会としての独立のことも教えてくれた。
 独立の際に負担としてあるのは、市からの委託業務を引き受けなければならないということで、しかしアンケートだの表彰者の推薦だのといったごく簡単なこと。
 しかも代わりに委託料を出してくれるというのだから、逆に潤うわけだ。
 その他の雑務も、上部団体にぶら下がっているのとほとんど同じで、独立のデメリットは何もないといってよい。

 そうだったか!と発見したのは、前回「傘下の町内会が無心すると、その時の会長の気分ひとつで大枚が積まれる」と書いたのが嘘っぱちだとわかったことである。
 以前わが町内会では、集会所の増改築をN町内会に頼んだ。そのとき会長のF氏は「俺の任期の間に頼めば金を出してやる」と言っていたからである。
 しかし「まちづくり」の資料を読めば、独立した町内会なら市に申請すれば増改築予算がつくと書いてある。
 つまりF氏は、市の予算を引っ張ってくるだけにもかかわらず、恩着せがましく「俺の一存で」できるかのように吹聴していて、当時のわが町内会の役員たちはすっかり騙されていたのだ。

 独立は書類1枚。実に簡単。独立は大変と思い込んでいた人はことごとく騙されているのである。

 さて、市役所をあとにして今度は市の社会福祉協議会へ行ってみた。
 目的は、N町内会から降ろされる寄付金等の強制に根拠があるのかどうか、社会福祉協議会自体は町内会に対してどのような依頼をしているのか、ということを知りたかった。
 結論的に、応対してくれた女性は、「社会福祉協議会の募金、寄付金等は任意であり、強制などはしていません」というごく当たり前の回答をした。

 また、昨年の決算書に書かれている「社会福祉協議会費」とは一体何ですかと聞いたところ、わからないとのこと。
 どうやら、各学区に分かれて存在する社会福祉協議会の下部組織(我々の場合T学区)が、独自に作っている寄付項目らしい。
 というより、学区別に行われる社会福祉協議会の仕事を、学区とは関係のないN町内会がやっているというところに、この組織のデタラメぶりが露呈している。
 地域のムラの古老が、組織の区別もなく金を集め管理しているというのが実情らしいとわかってきた。
 だからこそ、そこをほじくり返す奴は「出て行け」なのである。

敵は町内会にあり その3

 役員会で私と共同歩調をとりつつあるZ氏にはある持論があった。
 予算案に毎年盛り込まれている寄付金である。
 町内会でも色々いきさつはあったらしいが、現在は、例えば赤い羽根共同募金なら300円×全戸数が予算に組み込まれている。
 当然ながら、任意であるべき募金の強制徴収はおかしいという声は前からあったらしい。しかし個別徴収が面倒であるなどの理由で(本来その募金が必要かどうかなどの議論はなしに)、町内会費に上乗せする形で予算の中に組み込まれてきた。

 ネットで調べてみると、その問題とそれに関する議論が山ほど出てくる。
 決定的なのは、「募金の強制徴収は違法」という最高裁判例が確定していることだ。
 私たちと同じ滋賀県の人たちが訴訟を起こしており、一審敗訴、二審大阪高裁で勝訴、そして2008年4月に、最高裁は二審を支持して住民の勝訴が確定した。
 任意であるべき募金を強制徴収するのは、思想信条の自由を侵すものであり憲法違反である、という判断である。

 ネットでこの判例を見つけ、コピーしてZ氏に渡すと、最高裁判決のことは知っていたとのことであった。ひょっとすると彼は、この問題を常々気にしていながら、町内会ではっきり提示する機会を待っていたのかもしれない。

 わが町内会の予算案に組み込まれている寄付は、もともと「上部団体」であるN町内会からの要求である。
 以前の役員会が、寄付金だから少なくてもよいだろうと判断して半額で上納したら、N町内会からお叱りを受け、再度満額にして支払ったという事件があったらしい。
 N町内会は寄付を事実上強制しているのである。

 ならば、一度N町内会会長に話を聞こう、寄付問題をどう考えるのか、私たちの予算案を組むにもこのことははっきりさせるべきだと、我が町内の会長と副会長、つまりY氏とZ氏と私が連れ立って、先日N町内会の事務所を訪問した。
 会長は不在で、副会長なる人物が応対した。
 終始横柄な、人を見くだす態度のタメ口である。
 質疑応答の内容をひと言で表すなら、「おたくら、N町内会のやり方に不満があるなら出て行ってもらっていいんですよ」である。
 金が集まらなければ事業ができない。他の町内は全部きちんと払っている。文句があるなら独立すれば? という理屈。

 ひとつ面白かったのは、Z氏が最高裁判決のことを言いかけた時である。
 副会長は間髪をいれず「募金のことやな」とひと言、自ら口にした。
 知っているのである。知ってはいるが、知らないふりをしてカネ集めをしてきたのに、こいつらまた面倒なことを持ちだしやがって…という顔色だった。

 いずれにしても、N町内会側としては金を集めろの一点張りである。法律論になるとまずいから「極端なこと言われても困る。頑張って集めてくれ」というところで曖昧に逃げを図った。

 しかしまぁ、募金、寄付の類が強制徴収できないのは事実上認めているので、われわれとしてはこの時点で寄付金類を予算案から外すという腹が決まった。
 集まった額が少なくても、最高裁判決という後ろ盾があるかぎり文句は言わせない。

 ちなみに、もともとこのN町内会のある地域は昔から裕福な土地柄として有名であったらしい。
 広大な土地を所有していて、20年ほど前にはこの地に新キャンパスを作る某私立大学に62ヘクタールの土地を売却している。
 当然ながら億単位の金を、N町内会は持っているのである。
 聞くところによると、傘下の町内会が無心すると、その時の会長の気分ひとつで大枚が積まれるのだそうである。

 つまりこの町内会は、名目上の会則はあるものの民主的運営などとは程遠く、ものごとは中心メンバーだけで決めるというやり方を採っているムラである。
 戦前のようなどころか、それをはるかに通り越して、構成員の中心メンバーの頭のなかは江戸時代といってよい。
 戦後民主主義などというものは、このムラを素通りしてしまい、誰も知らないのである。

敵は町内会にあり その2

 第1回で、「議員を呼ばない決定をした」と書いた。

 この決定へと持ち込むにあたっては、ひとつの読みと作戦があった。
 今回の8人の班長のうちのひとりZ氏は、この町内で唯一、共産党支持であることを明確にしている人だった。確認はしていないがおそらく党員なのだろうと思う。
 すでに会長を経験している人であり人望もあるのだろうが、あまり町内の行事に顔を出すことはなく、私は今まで言葉をかわしたことがなかった。
 で、この人が役員になる以上、自民党議員を総会に呼ばないようにしようという提案に対して、反対をするわけはなかろうという読みであった。
 ただ、旗幟鮮明にしているということは、保守的な土地の中で白い目で見られる場合があるということでもある。もしもZ氏が何か言えば、「どうせまた共産党が」という目で見られかねないということだ。

 そこでまず私は、議員の件に関してはZ氏が最初に言い出すことのないようにと考え、自分の方から積極的にこの件を議題に持ち込んだ。
 その上で、議論の中でZ氏がそれとなく賛意を示すという流れを作って全体を賛成の方向に持って行くという作戦で臨んだ。
 結果的にそれが成功した。ただ、Z氏の賛意の示し方が少々穏やかすぎて、賛成ではないのかと思った一瞬もなくはなかったのだが。

 さて、2回目の役員会が開かれた。
 今年の会長Y氏は、去年までの町内会のやり方についてかなり勉強した模様で、すでに自分で総会に必要な書類を作り始めていた。
 ただしその方法は、完全な前例踏襲である。
 よくも悪くも過去の慣習どおりにやっていこうとしていた。
 進取の気性とはまるっきり正反対の、歴代役員会がたどってきた道、つまりなるべく波風を立てず、上部団体には逆らわず、形式通りに進め面倒な議論は避け、首をすくめて頭の上を風が通り過ぎるのを待つという保身術である。

 町内会の欠点がわかり始め、様々な問題点があらわになってくるのを見るにつけ、何とか改革をしていかないとと思い始めた私の考えとは正反対なのである。
 そこで、Y氏が従来通りの方針を言い出すたびに、それでいいんですか、変えるべきなんじゃないですか、こうしたほうがよくはないですか…となるべく穏やかにツッコミを入れる。
 そしてチラとZ氏の方を見ると、彼はおもむろに「その方がよさそうですね」と賛意を示す。
 こうして暗黙ではあるが、2人の連携プレーが機能して、今のところうまくいきそうな予感がしている。

 次年度の活動方針は、Y氏にまかせておけば「何もしない」か「従来どおり」、あるいはさらにもっとしないという結果になっただろう。
 というのは、毎年やっていた町内をあげてのバスツアーが、アンケートを取った結果、中止という意見が圧倒的だったので、やめることになったのだ。
 その代わりになにをするか。前年度の役員会はただ「やめる」と決めただけ。そして我々の役員会でも、Y氏まかせであればそのまま何もしない、つまり行事をひとつ減らすことが活動方針になっただろう。

 そこでまた私が口を出す。
 リクリエーションを減らして、それでおしまいでいいんですか。ひたすら消極的な活動方針ですね。もっと何か積極的なことを考えなくていいんですか…云々。
 例えば、と私が例示したのは2つのアイデア。この町内で非常に手薄になっている防災意識を高めることと、住宅地が開発されて40年が経過するにあたって、自らの足元を見つめなおすためのふるさと史誌の発行。

 実はこの2つとも私のアイデアではない。
 この町内のことをよく知っているベテランから愚痴とともに聞いた話を、町内改革のきっかけになりそうだと思って拝借したのである。
 これもまた、Z氏との阿吽の呼吸でうまく活動方針の中に盛り込めそうになってきている。

 まだまだ問題点はある。
 小さなことでもひとつひとつ変えていって、住民の惰性意識にコツンと石でもぶつけてやろうというのが私の目論見である。
 例えば総会議案書には必ず「平成◯◯年度」と書かれている。
 私は今、議案書制作の過程で、黙って「2016年度」に書き換えている。
 もっとも、固陋な古老に文句を言わせないために、カッコ書きで元号も書き添えてはいるのだが。

 時代がどんなに動き、変わっても、前例踏襲の役員会の意識は変わらない。
 それがつまり、戦後自民党政府が培ってきた保守反動の温床となっているのだ。
 少しずつでもそこにタガネを打ち込まなくてはならないと思う。

敵は町内会にあり その1

 今年、町内会の班長に(輪番で)なって、これから総会の準備やら何やら、色々と忙しくなりつつある。
 8つの班があり、先日8人の班長が集まって役員会を開き、2016年度新役員の互選を行った。
 私は事務担当の副会長という役どころである。

 この町内にきて2年半、過去2回の町内会総会に参加した。
 大半の参加者がおそらく70歳代で、たまに見る若い人を含めて平均年齢は60歳以下にはならないだろうと思われる。

 そういった古い人たちが運営する総会は、私みたいにNPOや市民運動グループの総会に慣れた人間の目からはきわめて奇妙なものだ。
 そもそも、議会の運営の仕方を知らない。
 普通、司会者とは別に議長を立てて議論の公平を期するのだが、ここでは司会者がそのまま議事進行をし、ときには自分の意見で他人の発言を遮ったりを平気でやる。
 参加者もよくわかっていなくて、「動議」が理解されないのには驚いた。新しい提案は役員の方から出すもので、一般会員から提案をしてはいけないと思っている人が何人もいるのだ。

 昨年の総会は珍妙なものだった。
 お決まりの来賓挨拶がある。
 この町内会では上部団体があって、幾つかの町内会をまとめて牛耳っているムラ組織がある。そのN町内会会長の挨拶。
 そしてこの種の組織がどこでもそうであるように、市会議員、それも自民党の議員の挨拶。
 この2人の挨拶、というより自慢話のような長広舌がほぼ1時間ほども展開された。
 そのために、肝心の議論をする時間がなくなり、予定を1時間超過してまだ決着がつかないというところで、司会者兼議長が終わりを急いで、無理やり採決に持ち込んで終わらせたというのが実情。
 もちろん参加者は不満たらたらだっただろう。しかしほとんどの人は年に一度の義理を果たしたとばかり、済んだ済んだと帰っていく。
 「あの挨拶は何だ!」と役員に文句を言ったのは私一人だった。

 そんな馬鹿げた総会を体験したので、役員になった今年は、まず「挨拶などすべてやめてしまえ」と主張した。
 それに対しては、前例踏襲を旨とする守旧派の役員から、反対の声が上がる。「N町内会長の挨拶はやめるわけにいかんでしょう、ご祝儀ももらってることだし…」。

 議員の挨拶はやめるべきだと私は食い下がる。
 特定政党の議員だけを呼ぶのはおかしいのではないか、仮にどうしても必要なら市議会の全政党に声をかけるか、毎年違う政党から呼ぶかしないと公平とは言えないだろうと主張した。
 これについてはほぼみんな納得したようで、今回議員の挨拶はなしでもいいんじゃないですか、という形でうまく納まった。

 議員を呼ぶという風習はどこから始まったのか。
 以前この町内会から市会議員になった人がいるらしい。その人の応援というのがそもそもの始まりではなかったかと推測する。
 しかしこの町内会は特定議員の後援会ではない。
 調べてみると、地方自治法第260条の2にちゃんと書いてある。

 「認可地縁団体(町内会等の組織のこと)は特定の政党のために利用してはならない」
 
 「利用する」をどう捉えるかの問題はあるが、重要なのは「特定の政党」にある。政治的には中立であるべきというのがこの「認可地縁団体」の基本なのだ。

 この第1回の役員会で、次の総会では議員を呼ばないということが正式に決まった。
 これは、前例踏襲、最大限何もしないで1年を過ごす、を行動方針としている歴代の役員会からすれば画期的なことなのである。