投稿者「斗周」のアーカイブ
「この空を飛べたら」は翻訳ソフトで訳せるか?
最近翻訳に関してなるほどと思った事例。
知人が書いていた英文にイチャモンをつけた。
If I can fly this sky.とあった。中島みゆきの名曲、「この空を飛べたら」を翻訳ソフトにかけた結果だという。
ははぁ、なるほどね。それらしい訳になっている。
感心したのは、原文には主語がないのに、訳文にはちゃんと I が入っている。一昔前の翻訳ソフトならこういう芸当はできなかっただろう。「もし私がこの空を飛べたら」と書いてやらないと翻訳してくれなかったのではないだろうか。
狐につままれたようなHDD
しばらく前、Macのバックアップ用として使っていた2TBの外付けHDDが突然うんともすんとも言わなくなった。
なにしろバックアップ用だから、重い映像データなども合わせて何でもかんでもここに放り込んでいた。
バックアップなのだから、「壊れない」ような気分で使っていたのだと思う。
それが突然壊れたのだから、シャレにならない。メインマシンを軽くするためにいったんバックアップHDDへと移していたデータは、もう永遠に戻ってこないことになる。
オモテには一切ネジなどないデザイン重視のHDDだったので、分解の仕方がまったくわからなくてお手上げだった。
しかし世の中はよくしたもので、同じ悩みを抱えた先人が必ずいるものだ。
ネットで調べると、同じ型のHDDを分解するのに苦労した話が詳細に出ていた(まことにありがたいことで)。
それでやっと分解に成功してチェックしてみたところ、電源部分の不良ではないかという結論に達した。ブルーのLEDが点灯しなくなっているし、回転音もまったくしないから。
電源、といっても半導体の部分が壊れたのならお手上げだが、よくありがちな故障を想定し、コンデンサのパンクではないかと当たりをつけた。それ以外は滅多に故障するものではない。
電子パーツ屋まで出かけて同型のコンデンサを購入。電子工作で新品に交換した。
が、結果は☓。うんともすんとも言わない。
普通ならそこで諦めるところだが、記録されているデータのことを考えるとこのまま終えるにはしのびない。
別の電源をつないで動かしてみることを考えた(あくまで電源の故障であろうとの想定のもとで)。
つまり、外付けHDDをいったんバラして内蔵用と同じ状態にし、内蔵HDDを外付けに変える機器で外付けHDDとして動かしてみようという作戦である(自分で言いながらこんがらがりそう)。
その結果、HDDは見事に動いて、認識できるようになった(そこに行くまでの悪戦苦闘は一切略す)。
ただ、ディスクユーティリティを使って検査してみると、チェックが最後まで完了しなかったり、「マウントできません」という表示が出たり、何だか不安定。
そこでまずは動いているうちに必要なデータを別のHDDに移そうと、重要なものから順にコピーした。
もちろん2TBのデータを全部移せるHDDは他には持っていない。
新しいHDDを買おうと決断して、買いに行く。その間に(1,2時間かかりそうなので)、このHDDには修復をかけておいた。
HDDの現在の相場を調べる。4TBで11000〜12000くらい。3TBだと9000台である。これにしようと決めた。
チャリンコで20分ほど走ったところにパソコン部品を売っている店がある。そこで物色。
自作パソコン部品の多い店であるせいか、外付けHDDは2.5インチのものしか置いてない。ありゃ〜と思ったが、内蔵HDDなら3TBで6000円台である。そうか、これで行ってやろう!
内蔵を外付けとして使う機器を持っているのだから、それを使えばいい。少々格好悪いところは目をつぶろう。
ということでそれを買って家に戻り、旧HDDの修復結果を見ると、なんと「異常はないようです」とディスクユーティリティさんはおっしゃっている。
ならば、買ってきた3TBのHDDを取り付けて作業をする前に、旧HDDをもう一度つないでみようと、もとの電源部品をとりつけ、当初の形にして外付けとして取り付けてみた。
青いLEDが煌々と灯り、何事もなかったように正常に動いている!!
電源が悪いのではなかった。
何らかの内部的な原因でアクセスができなくなっていただけなのだろうか。「修復」によって直ってしまったのだろうか。
全く不明だが、HDDの再稼働ならおめでとうといいたい(原発は廃炉)。
私の身の置き場はどこ?とうろうろしている3TBのHDDはどうするか。
一応安全のために、バックアップのさらにバックアップとして動くようにしようかと思案しているところである。
敵は町内会にあり その5
前回の「その4」が町内会の総会準備真っ最中の3月だったから、もう半年以上、あっと言う間に月日は経ってしまった。
総会は無事終わり、議案書に盛り込んだ事業計画も順調に進んでいる。
では、それ以来きょうまで何事もなかったのかといえば、実はある。それもきわめて重大な問題が。
しかしいまはそれを後回しにして、8月に行われたN町内会のサマーフェスティバルなるもの、つまり夏祭りについて先に報告しておこう。
このサマーフェスティバル、私は今まで参加したことがなかった。去年は寄付金1000円を払って「お楽しみ抽選会」のチケットももらったが、すっかり忘れていて参加しなかった。
どうせ一町内の夏祭り。夜店が出て舞台でシロウトの歌や踊りが披露されるというワンパターンに決まっている。
ただ今年は私自身が町内の役員になったために、N町内会から会場の手伝いを割り振りされた。会場設営と、祭りが始まってからはゴミ当番をやってくれとのこと。開催中に出てくるゴミをチェックし、集積所に運ぶなどのボランティアである。
会場は公園、といっても樹木などの一切ない、フェンスに囲まれた長方形の運動場のような場所。面積的には5000平方メートルほどもあるのだろうか、中規模の小中学校の校庭ほどの広さである。
さて、祭りが始まってみて、実のところ非常に驚いた。
次から次へと人が集まってくるのである。
それも、小さな子どもを連れた若い男女が圧倒的に多い。
私たちの町内会ではせいぜい数軒の40代の家族以外はすべてほぼ70代以上の高齢者である。盆と正月に里帰りしてくる孫たちを見かけるのがせいぜいだが、ここは違う。子どもたちがうじゃうじゃいる。どうしてこんなに年齢層が異なるのか‥‥。
演し物が次々と替わっていって、宴たけなわとなる頃には公園内は大げさでなく立錐の余地のない大混雑となった。
ゴミ袋を持って敷地内を横断するにも、身体をくねらせないと通行できない人だかりである。
あとから、主催者発表で1200人との報告があった。おそらく誇張でなくそれくらいはいたと思われる。
そして、賑やかな催しが一通り終わったところで、何の衒いもなく、しれっと行われるのが恒例の「挨拶」である。
登壇するのは、7月に行われた参議院議員選挙で当選した自民党の候補者。
さらには、同じく自民党の現職参議院議員も。
「みなさまのおかげで」「お世話になりました」「地域の活性化に」云々という言葉が、楽しい楽しいお祭の騒ぎの中で、自民党とこのフェスティバルがまるで一体のものであるように語られるその効果を考えてみてほしい。
ここまではお祭り、ここからは政治の話、ではないのだ。
お祭りという楽しい流れの中で、その延長線上に自民党がある。
聴衆はこれらの参議院議員が何をした人か、何をしようとしている人かなどは全く知らないまま、なんとなく自民党というものがこの地域の、私たちの、このお祭りに欠かせない役割であるかのように、自然に洗脳されていくのである。
このN町内会はざっと900軒、およそ2000人の人口を抱えた地域である。
考えてもみてほしいが、どこかの市民運動団体が、反原発でも平和運動でも何でもよいが、2000人の人口から1200人もの人たちを動員でなく集めることができるだろうか。
政治的スローガンを掲げて、何万人という街中で数人のメンバーが拡声器を使って呼びかけ、100人に一人くらい振り返らせる運動と、上記の、1200人の若い人たちが喜んで駆けつけ、自民党に知らず知らず馴染んでいくこの「村」のやり方と、ぜひ比較衡量していただきたいと思う。
これがまさに、選挙ではドブ板と呼ばれる保守派の戦略であり、草の根保守の方法論なのである。
国際情勢がどうの、経済政策がどうのという「理屈」で国民を説得しようとしても、国民は動かないのだ。
動かないことをもって愚民だ、B層だと非難しても何の効果もなく、負け犬の遠吠えにしかならない。
敵は草の根のシステムを最大限に活用して、人々が政治と気づかないうちに政治の方向性へ、それもうんと右寄りの路線を歩かせるように仕向けている。
その方法論に学び、敵は大所高所ではなく町内会に偏在しているのだという事実をまず確認することが、私たちに求められているのではないか。敵は町内会にあり、なのである。
歌謡曲探訪2 東京のバスガール
1957年、まだ日本が高度経済成長に突入する以前の曲である。
「バスガール」という言葉自体すでに死語といえるが、女は家にいるのが普通と思われていた時代に、明るく働く女性はある種新しい時代を感じさせたのかもしれない。
もちろん、いまやバスに車掌が乗っていたこと自体、知らない人が多いのだろうけれども。
歌:初代コロムビア・ローズ 作詞:丘灯至夫 作曲:上原げんと
1 若い希望も 恋もある
ビルの街から 山の手へ
紺の制服 身につけて
私は東京の バスガール
発車オーライ
明るく明るく 走るのよ
2 昨日こころに とめた方
今日はきれいな 人つれて
夢ははかなく 破れても
くじけちゃいけない バスガール
発車オーライ
明るく明るく 走るのよ
3 酔ったお客の 意地わるさ
いやな言葉で どなられて
ほろり落とした ひとしずく
それでも東京の バスガール
発車オーライ
明るく明るく 走るのよ
時代を感じさせるのは3番の歌詞ではないだろうか。
酔客に絡まれれば、今なら直ちにセクハラとして糾弾されるだろう。
しかしこの時代、もちろんハラスメントいう概念はなかった。女性、特に若い女性は少々イヤなことがあっても我慢しなければならず、そのような態度が女性の規範として強要されていたということもできる。
セクシャルハラスメントという概念が日本で定着したのは90年台。この言葉は、それまで不当にも我慢を強いられてきた女性を解放する、強力な武器となった。
それよりはるか前に作られたこの曲、当時の風俗を正確に描いているとも言えるし、「明るく走るのよ」とやはり我慢を強いるメッセージを伝えているとも言える。